Cracken's report #1 「コロニーから来た姉弟」  俺の名はカンタ・G・クラッケン。職業は歴史学研究助手兼リンクバトラー。  最近はリンクバトラーとしての活躍しかしていないような気が我ながらしてしまうが、俺の本分は近現代戦史を通して自分のルーツを 探る駆け出しの歴史学者である。  だから今日も呑気者の教授に代わり、大学のある月面都市からわざわざ地球の山奥へとやって来た。  地球の雄大過ぎるくらいで余りにも複雑な自然は、悪くない。さすがにこの時代にもなれば「人工」に漬かり過ぎて自然というものを 身体が受け付けなくなってしまっているスペースノイドやルナリアンが大多数を占めてしまっているが、そういう連中に限って地球という ものを妙に神格化して見て、「自然=いいもの」ぐらいにしか考えずにそれを独占しようとして色々やる連中だったりした。  思うに、ボトルに入った水しか飲めないようなヤワさで資源としての自然をいただきって考えるなんて事は結局地球にあるいろんな 物を見れてないから思ってしまう事で、地球の事を何も分からずに地球に来る必要なんてないんじゃないか。自然の中で生きるには それなりの資格が必要で、俺達に必要なのはその資格…概念的なものでもなんでも無い、生き物としてのタフさ、なんじゃないか。 ……ルナリアンの俺としてはかなりしんどいこの重力にさらされながら、思う。  そんな事を思いながら俺が空港からオフロード型のエレクトリックカーで向かったのは盆地にある中くらいの町だった。  事前に承諾を得て訪問した古い家で俺が借り受けたのは、何枚かの光学データディスク。百年以上前の半導体メモリーや 磁気ディスクは当然として、光学ディスクでさえ読める状態で保存されている事は、奇跡に近い。  社交的な意味だけでなく、自身の感謝の意も込めて、恭しく礼をした。  早速大学の研究所へ持ち帰って、解析作業を始めよう。  記録は、どんな人生を語り継いでくれるのか……                 ◇◇◇  AC188年1月、サイド2、4バンチコロニー。  ジオン独立戦争開戦時の化学兵器投入により、宣戦布告から数時間後のコロニー内部にいたあらゆる生命は、死滅していた。  考えられない程の苦悶の表情を浮かべたまま事切れていた二体の遺体を前に、二人のノーマルスーツ姿が居た。  一人は、おぞましさに嘔吐しきった後は、床面に膝を付き、身体を震わせながら嗚咽を漏らすばかりだった。 「……ひでぇ……酷ぇよぉ………」 「……ああ、酷いよ……」  諦めた様に吐き捨てられたもう一人の言葉は、立ち尽くすそのスーツの腰に接続された索を通して、その横の項垂れるノーマルスーツに 伝えられた。 「……なんだよ、それ……  俺達の事、全然構ってくれなくても、両親だろ?それが、学校の友達や近所の人達と一緒に、こんな事で死んでんだろ…?  何で姉ちゃんは、そんな……」  項垂れるノーマルスーツに言わせるよりも前に、立っている方のノーマルスーツは座っている方の肩を、強く掴む。 「…もう泣くな、アンディ!」  余りにも強い力で掴まれ、そして、その声がいつもの張りを失っている事に、項垂れる方はハッとさせられた。 「………泣くんじゃ、ない………!」  絞り出す様に、辛うじて続けられた言葉。 「………」  それきり二人共、ただ身体を震わせ黙る事しかできなかった。  コロニーサイドより月へ帰還する途中の中型シャトルの中。  ノーマルスーツを脱いで通路で待たされたその二人は、地球連邦軍の軍服を着た中年の男と対面していた。 「被災市民の、戦争被害地の被害調査への協力に、感謝する」  自分と比べて背の高くない二人を上から見下ろすような姿勢のまま、軍人が言う。 「いいえ…私達も自分たちの家がどうなっているかどうか知りたかった所ですから、道案内という事でこうやってタダ同然で乗せて貰って いるだけでも、何てお礼を申し上げればいいか…  …ほら、あんたも礼ぐらい言いなさい」 「……」  二人のうちの一人、やや背の高い少女は可能な限り丁寧に礼の言葉を述べ、もう一人の少年にも頭を下げるよう促す。  一方、少女よりは背の低い(と言ってもその差は数センチメートル程度ではあるが)少年は、暗い表情で俯いたまま黙っていた。  陰気な少年の態度に(その原因を察する事も無く)不快な印象を抱いてか、露骨に不機嫌な声で軍人は答えた。 「……一応座席は空いているから、港に到着するまで大人しくしている様に!」  二人を押し退ける様に、軍人は客室へ戻っていった。 「……」  何かを訴えかける様に、少年は少女に恐る恐る視線を向ける。  しかし少女の方は、厳しい表情で、 「……今の自分がどうあろうと、何かしてもらったら礼の一つぐらい言うのが筋ってもんでしょ?このジャンク野郎……」  静かに言って、窘める様に少年を睨んだ少女は、客室に向かって少年の背を押した。  無重力状態で流されるまま、しかし少年が思う事は、底知れぬ悲しい気分の行き場がない事への、苛立ちのようなものだった。  両手をもがれ、怒りや悲しみをぶつける事ができない。そんな、ベクトルを失った憎しみ、と言い換えられたかもしれなかった。  とある月面都市。  軍から開放された二人は、開戦時の難を逃れた時と同様、ここの市街へ来ていた。  月面ドームの外で起こるここしばらくの不安定な情勢に慌しく動く街の中で、少年はその感情の行き場を探す事ばかりを考えながら、 しかしただ少女に従う様に歩いていた。  憎い、誰かが。自分の知らない所で自分達に選択を迫ってくる誰かが。  例えば、故郷を奪った連中、戦争を起こした連中。戦争で故郷を奪った、その事は憎む理由には当たるはずだ。だから、自分の受けた この苦しみや悲しみをそいつらに返す事ができれば、直接的とはいかなくても、間接的にでも。そんな事もたった一人で考えている分には 浮かんでくる。  冷静に考えれば、厳密にはその対象が誰だろうと良かったのかもしれなかったが。 「さて……」  そんな事を自分一人考えながら歩く少年を無視する様に伴い市街を歩いていた少女は、旅行目的で来ていた際に利用していた安宿を 見つけ、そこで少年の方を振り向いた。 「じゃ…こっから自由時間ね」 「…え?」  先程までほぼ惰性で少女を追尾していた少年は、その言葉に、呆けた様に少女を見た。 「『え』って、難民手当ても出るか微妙な状態じゃないの、今の私達。あちこち回って、働かせて貰えそうな所探さなきゃいけないでしょ?」 「……何でそんなに…」 「『何でそんなに行動的になれるのか、この大変な時に』って?」 「っ……」  重い口を開いて言おうとしたその先を言われ、また少年は諦める様に押し黙る。 「……落ち込んでたり悔やんだりしてても、時間は戻らないわよ。  生きてるんだから、生きなきゃいけないでしょ?」 「なら…」 「働かせてもらうんなら、それ相応の責任を負うもんでしょ?だったら、私に頼らず、自分の足で何とかしなさいよ。あんたが信用できる 人かどうか知ってる奴なんて、今となっちゃ肉親の私しかいないじゃないの。私が代わりに話した所で、どうにもならないでしょ?  だから、あんたの口で話して、信用してもらいなさい!」 「………」  口答えする機会は、与えられなかった。  実の姉である少女に、昔からあらゆる事でその何歩も先を行かれていた少年は、自分の活躍の場を奪われてこうして押し黙る事が 少なくは無かった。  特に「発言する事」では、彼は考えの悉くを先んじられ、姉の言う事に納得をする以外の行動を封じられる事が殆どだった。  彼が積極的に行動できない原因の、一つではあった。 「じゃ、夕方の6時にまたここで。私が先に着いたら部屋取っとくわね。  あんた、数学とか機械の事とか得意だから、工場にでも行くといいんじゃない?でも、市民IDカード見せればある程度は納得して くれると思うけど、自分の口で言う事はちゃんとしなさいよ?」  弟を残して去る姉の姿を見送り、少年は立ち尽してから、俯き加減に歩き始めた。  これまでに彼に行動をさせないでおいて、今になって「自分で行動しろ」と言う、姉のその言動に不平を唱えたい気持ちが、彼の その時の頭の中の多くを占有していたが、「自ら動かねばならない状態に置かれている」という姉の言う事は彼にも辛うじては理解 できた(彼女の考えている事が理解できない事は変わらなかったが)。自分がこの様な状況に置かれた事への鈍く破裂しそうな 憎しみとあいまって、それらの感情の出口を探る様にくすぶっている心情が、鬱屈した状態を作り出している事には変わらなかったのだが。 「……工業区は……」  月面都市には、ほんの少し前――戦争開戦の直前と丁度重なる頃――に姉の手引きでやって来たのが初めてであり、彼が地理に 明るいはずも無かった。  商業区を、賑やかな所からやや離れた所まで歩き、案内板を見つけてそれに見入っていた。 「街の雰囲気は似てるのに……コロニーより、割と広いな……」  地図のような法則的な図面を読むのは得意な事だったが、未だ気が沈んでぐるぐると渦巻いたままでいるからか、長い時間、少年は そこに立っていた。 「………?」  ぼうっとなりかけていた少年は、パーカーの袖を引かれ、ふと我に帰る。 「?」  引かれた左の袖の方を見て、少年は驚くでも無く、不思議に思うばかりだった。  袖を引いていたのは、未だ十歳程度の幼い少女。東南アジア系の血を強く引く少年とは異なり、きめ細やかな印象がある、東アジア系を 思わせる外見。ポニーテールにまとめた髪の色だけはアジア系とは違う栗色だったが、人種格差が「形式上は」解消されたこの時代には、 複数の人種の特徴を遺伝する事も珍しくは無い。  だが可愛らしいその外見と違い、少年のぼんやりとした瞳を見つめるその少女の表情は暗く沈むのを通り越して、虚ろげだった。  どこか、少年の心境に近いものが、もしくはそうさせる出来事があったのかもしれない。  それは少年にも、その状態に置かれていた少年だからこそ、推測できた。  「共感」とは違うが、しかしどこかそれに近いものだろうと、しばらくしてから思う事は出来た。 「ほう……」  やや離れた所にいるかなり大柄な壮年近い男性が、その時、少年の所に歩み寄ってきた。  180センチメートルを超える逞しい体躯の持ち主であるが、やはり袖を引く少女と同じ東アジア系である事が、見た目と和服姿で 分かる。恐らくは、少女の父親であろうか。  だが男性が近づくに連れ、その体格と厳めしい顔立ちに、少年は威圧される。  男性は、20センチほどの身長差のある少年を見下ろす位置にまで近づき、 「……何にも興味を示さなくなった娘が…な……」 「…え?」  反射的にぼんやりと聞き返し、また少年は左手を見る。  少女はしがみ付いたまま、父親と思しき男性の方を見ていた。 「君、」 「は、はい…!」  緊張気味に、少年は返答した。 「何か、私が力になる様な事はあるかね?  娘が君に興味を示したのだ。何かの縁、と言う物だろう…」 「あ……」  男性の申し出に、少年は今の自分の置かれた状況を、ようやくにして思い出す。 「あの……工業区へ行きたいんです。仕事を貰いに……」 「ふむ、仕事を…?」 「あのっ、住む所が無くなっちゃって、どうにか働ける所は無いかって…その…」  男性はしばし考えるしぐさを見せ、 「…何か、書くものはあるかね?」 「あ…はい」  言われるままに少年は空いている右手で、前ポケットの中のボールペンとメモ帳を差し出す。 「いや、紙はいい。…ボールペンで和紙には無粋だが、渡すにはノートの便箋よりこちらの方が良いだろう……  だが、下に敷く物が欲しかった所だ。借りようか」  メモ帳を下敷き代わりにして、手の上で受け取ったペンを走らせる男性。その途中で、不意に少年に聞く。 「…住む所が無い、という事は、住み込みで働けるような所の方が良いかね?」 「え?」  住所を教えられると思っていた少年は、その問いに意外そうに反応した。 「どうなのかね?」 「は…はい、お願いします」  やはり反射的に答えてしまった少年の返答を聞いて、男性はまた書き、また手を止め尋ねる。 「君の名は?」 「え? あ……」  おずおずと、少年はコロニー住民のIDカードを差し出そうとする。  が、男性はその少年を睨む。 「君のデータを聞いているのでは無い!君が生まれ持った名を聞いている!」 「!」  一瞬だけ気圧され、しかし意を決した様に少年は言った。 「……アンドリュー・クラッケン…です」 「そうか……」  聞いて男性は一気に書き上げ、その紙を少年に示した。 「綴りは、合っているかね?」 「…はい」  その紙を二つ折りにして少年に手渡すと、男性は意外な事を言った。 「…あそこに一際高いビルがあるだろう? その隣の、横幅の広いビルが…分かるかね?」 「え?…あ、はい」 「そこの社員に、この紹介状を渡したまえ」 「はい………え?  あのっ、紹介状って……?」 「私の署名が入っている。あの会社なら、それを見せればきっと大丈夫だろう」 「え、あ……」  渡された紹介状を、両手で持ち、 「……ありがとうございました!」  少年は、頭を下げた。  感謝すべき時だという事が、自然と、彼には判る事が出来たのだろう。 「……さあ、帰るぞ」  少年の動きには表情を変えず、男性は娘と思しき少女の手を引く。  少女は少年の左袖から手を離し、しかし父親の手に引かれながらも、何も言わず少年の方を見ていた。 「あ……」 (こういう時、)  その少女へ向かって、 「………」  少年は手を軽く上げて、微笑みを見せた。 (…こういう時…嬉しい時に、安心して欲しい時に、『ありがとう』って言いたい時に……  そうだ、笑えば、いいんだ……)  微笑みかけた少年には、何も見えないほど厚い雲に覆われた様な少女の表情が、去って行く時にはほんの少しだけ晴れた様な、 そんな気がした。  それは、彼自身の心がそうなった事を、彼がその様なかたちで感じ取ったのかもしれなかった。  午後6時15分。待ち合わせの部屋へ、手提げ紙袋入りの荷物を持って少年はやって来た。  少年の姉は、少年よりも早く到着していた。 「遅いじゃない、何かあったの?」  待ち合わせの時刻に遅れた、その事には特に怒る様子は無く、姉は少年に問い掛ける。遅れてやって来た弟の持ち物と、昼に別れた 時とは全く違う表情から、何かあったのだろうと想像する事の方が彼女にとっては重要だったからだった。  興奮気味に、少年は窓の外を指して姉に言う。 「ここで働かせてもらえる様になったんだよ、姉ちゃん!  ほら、あっちのビル、あの会社の工場で働いていいって!寮もあるし、作業服もこうして貰ってきたんだ!  やったよ…工場で武器とか作れば、コロニーをやった連中に仕返しできるかもしれない。悪い奴らを俺の技術で殺せるんだ…!」 「……あぁ、そう……」  その視線は極めて冷たく、その返答は極めて冷淡に、そして諦観した様に素っ気無く、姉は溜息混じりにまずは答えた。  しかし、以降は何も無かった様に、姉は言いながら少年の持参した手荷物を無遠慮に探り始める。 「OっK。じゃ、あとは頑張んなさいね。あんたはここで働いてれば大丈夫そうな気がするわ、何となく」 「…『あとは』…って?」 「私は地球に降りるから。ここよりは仕事多くなりそうだしね、これから」 「え…?」  少年にとっては、高揚していた気分がまた吹き飛ばされる程に思い掛けない言葉だった。  その先をまた、姉は見越していたのか、彼女は袋の中から弟の作業帽を取り出した。 「ちょっと待ってなさいね…」  淡々と、日頃の作業をこなすかの様に、いつもとは違う物を持って彼女はベッドに腰掛けながら自分の鞄も探る。取り出したのは、 携帯用のソーイングセット。 「………?」  自分の事などお構いなしに作業を始める姉に、少年は困惑する。  いつも、自分が何か一つの事に囚われている間に、姉は自分の数歩先の行動を取っている。そんな様子をいつも見ているから、この人に ついて行けば何とかなるだろう、と無意識の内に思ってしまっている。何を考えているか分からないけど、大丈夫だろう、と。  この事態に困惑する自分の、その考えにその時気付かされて、また少年は下を向く。 「………ん、できた」  数分間そうしていた少年は、姉の声にようやく我に帰る。 「ほら、これ」  怪訝そうに見返す少年の眼前に姉が突き出したのは、先程少年から取り上げた作業帽である。  その帽子の前部には社章の代わりに大きく、「A.C.」というイニシャルを、Aの中棒とCの字をスパナに見立てた図案化した エンブレムが刺繍されていた。 「……は?」  呆れた様に少年はそれを見、今度は伺う様に姉の顔を見た。 「何って、『あんたの名前』よ。  あんた顔地味でしょ?だから名前だけでもこれで覚えてもらいなさい!」 「何だよそれ、恥ずかしいだけじゃないかよ!?」 「あんたの名前のどこが恥ずかしいのよ?そう思うんなら、自分の名前が恥ずかしい名前にならない様に、きちんと生きてれば 済む事でしょ?」  抗議する弟に姉は答えてみせながら、その帽子を弟に無理矢理被せ、背を向けた。 「じゃ、寝るね。明日早いから。  しばらくのお別れになるけど、あんたも明日から頑張りなさいよ?」  困惑する弟を全く無視して、姉は床に就こうとする。  帽子を取り、自分も諦めて就寝しようとする少年に向かって、招き入れる様にシーツを開いてみせて姉は笑いながら言った。 「…一緒に寝ようか?」 「……」  ぷい、と少年は言葉も無く横を向き、自分の寝台に潜り込んだ。 「……冗談よ」  冗談っぽく笑ってみせて、姉はまた床に潜った。  動乱の時代、若くして自ら道を切り開く必要に立たされる者も珍しくない時代。自分以上に厳しい境遇に立たされる者、そして不運な 結果に遭遇する者も存在し、その運命がいかに重い物であるかを、彼は後に自覚する事になる。  今は自分自身が生きる為、嫌悪や憎しみのような感情も外へと向ける事が必要なのかもしれない。それについては諦めなければ ならない程度に、彼らの成長は為されていないのだったのだろう。  アンドリュー・クラッケン14歳、フラーマ・クラッケン17歳の事であった。                  ◇  3年後。  AC192年。アンドリュー・クラッケンが技術作業員として就職した企業は一年戦争後、他業種の企業を併合した巨大軍事企業へと 成長し、彼はモビルスーツなどの機動兵器の開発に携わる技術者として働いていた。  しかしムゲ・ゾルバドス帝国の侵攻による開戦で、彼は地球連邦軍の兵員として召集され、地上の辺境の生産拠点で工兵として配属 されていた。  開発部での経験の数々が、彼の技術者としての技量や誇り、技術に関する目的意識を高める事には多いに役に立った。特に、 開発中だったマン・マシンインターフェースを駆使した機体は、彼の技術的な憧れとしてその目的意識を多いに助けるものであった。  が、一方で人生観に影響を与えるべき出会いの無かった彼の精神は、ただ燻り続けていた攻撃性を向ける相手を求めながら、ただ 不安定に行動する事を強いていた。軍隊生活に組み込まれる事に不満を抱いていた(兵器開発に携わる事には積極的でいるにも 拘らず、である)事もあり、導く存在も無く、何かを憎悪しなければ自分を維持できない卑屈さだけを彼は強めていた。  それに加え、彼は他の何かとの人間的な繋がりを放棄していた。誰の為でもない、どうでもいいから生きようとする。でも何故 そうしたいのかが分からない。孤立感と漠然とした不安感が、その鬱屈した精神を助長していた。  3年前に突如抜けた姉の存在は、それへの依存性は、彼にとってそれだけ大きかったのかもしれなかった。そして、そこから自立する だけの成長の機会を、彼は逸していた。  中国大陸の中規模な生産拠点。  些細なきっかけで、整備兵同士の喧嘩が始まっていた。きっかけは本当につまらない物であり、むしろ何故この様な理由で彼が騒ぎを 起こしたのかさえも不可解であった。  騒ぎを起こした整備兵はすぐに取り押さえられ、士官の詰問を受けていた。  着任してさほど日の経たない、アンドリュー・クラッケンである。 「………」  事情を聞こうとした士官を睨みつけたまま、彼は口を開こうとしないままだった。 「お前からいきなり取っ組み合いを始めたのは、みんなが見ているんだ…ザクやボールとは言え、ウチで兵器を作らないといけない、 そうしないと大変な事になる、だからこんな事してる場合じゃないって事は分かっているだろう?  ……いい加減、何か言えよ!」  平手打ちで彼の頬を叩き、申し開きを促す士官。その士官を、しかしアンドリューは睨み付けるばかりだった。 (……なんで俺はここにいるんだ。  故郷を奪った奴と戦いに駆り立てる奴の両方がごっちゃになった「軍人」っていう連中に組みこまれて、会社の開発部で作っていた 機体と比べてぜんぜん大した事無い機体ばかりを作らされて、一体何をやってるんだ……  誰の為なんだ。住む所ももう無い、待ってる人もいない。こいつらだって、俺には関係無い連中だろ……)  ただ単に、よく分からない腹立たしさを抱えて、しかし積極的な形を持たず流動し続けるそれを何と説明すればいいか分からずに、 彼はその場にいた。  騒ぎに、人が集まってきていた。その人垣に割入る様に、一人の下士官がその現場へと歩み寄る。 「……楽観視、し過ぎたかしらね……」  その声は、なぜか彼以外の人間にもぞっとするような響きを与えながら、アンドリューの下へと届けられた。 「………!?」  野戦スタイルの、だがノースリーブへの改造など、それにしては若干非常識さを感じさせる出で立ちの、日焼けした女性。銃剣を 右手に担ぎ威圧する様に彼を見下ろすその女性は、アンドリューが記憶しているよりも遥かに野性味を帯びていた。 「…クラッケン軍曹?」  その雰囲気に押されたか、野次馬根性で集まってきていた兵達が段々と人垣を分解し始める。その理由を察したものは、それを 自己確認する様に女性下士官とアンドリューの姿とを見比べ、ますます持っていぶかしむ様な表情になる。 「………」  期待に近いものを含んだ戦慄を持って、アンドリューはその姿を見つめる。 「………何故あんたが、ここにいるんだ……姉ちゃん!?」  反応する様に、ざわり、と人垣が揺れる。  フラーマ・クラッケン軍曹。アンドリューの姉はアンドリューが月に留まっている間に、地上で地球連邦軍の兵士として働いていた。  彼女は何を期待していたのか、そして何が期待外れだったのか。 「弱い奴だとは思ってたけど、私の手を離れても弱いまんまだとは、幾らなんでも思わなかったわ…」  色々な感情を押し殺して作られたようなフラーマのその声は、アンドリューをその場に繋ぎとめる。  地球の自然に近しい者ならば、「猛獣のような」「猛禽のような」という形容を当てはめただろう。その様にしながら、担ぎ上げた 銃剣を掴む手に力を込めつつ、その場で動けないアンドリューを見下ろす位置までやってくる。  閉じた世界が、自分が敬意を払っていたはずの人物の登場で、変化した。ここは自分がこれまで思ってたような、自分に 関係無い世界じゃない。自分が知る限り最も近しい人が、自分の前にいて、自分に怒りを向けている。そして、その理由は 思い当たる。この人が卑屈な人間を許さない事も、自分が一番知っている。  アンドリューがその場から動こうとできなかった事も、これまで忘れかけていたその事だけが原因だった。 「………こいつの処遇は、任せてくれますか…? ちょっと、過激にいくと思いますけど…」  何を納得したのか、詰問中の士官も、アンドリューを取り押さえていた兵士も、その場から下がる。  人垣が、その輪を広げていった。 「…言ったでしょ?『その名前が恥ずかしくならない様にって事ぐらいはしなさい』って……」  フラーマは、左手でアンドリューの帽子の鍔を取り、脇に投げ捨てる。そして、 『……っ!?』  一瞬、間を詰める姉。  一瞬、逃げようとする弟。  その次の瞬間には、身を捻ったフラーマの蹴りが、逃げようとして向けられたアンドリューの背を捉えた。背の中央に炸裂する インパクトに身を仰け反らせ、アンドリューは転倒する。  地に伏したアンドリューの、その頭をフラーマは掴んで引き起こし、身を前に突き飛ばす。よろめく様に踏鞴を踏む弟に、バレルの 方を掴んだ銃剣を振り上げる… 「自分では何も出来ず何かを積極的にやろうともせずにただうじうじと一つ所に留まって何でも人のせいにして人様に不満と 迷惑ばかり……!」  真横に振り抜かれた銃剣のストックが、彼の横面を強かに打った。 「――!!」  衝撃に、アンドリューの意識が遠のき始める。  それでも完全に意識を失わないのは、この人の技量故か。3年の間に自分が強いと思っていた人物は、ここまで強力になるのか。  そして自分は如何にその間、強くなる事を放棄してしまったのか。 「………失敗したら、やり直せばいい。」  だがその微かな声だけは、彼には届かないように、彼女の口から漏れただけだった。  そして、倒れそうになった彼の胸倉を、また掴み上げる。その時の言葉は、はっきりと届けられた。 「卑屈な根性を叩き直してやるわ!」  手を放し後ろに流れる彼の身体目掛け、今度はストックを振り上げて打つ。  腹部を突き上げられて前のめりに倒れこもうとする彼に、更に容赦無く彼女は丸まった背を打ち据え、床に叩きつけた。 「………気に入らない事があるなら、何故自分から何とかしようとしないの?  ………自分から何をしようという気も無いくせに、何故無駄な憎しみを引き摺るの?」  立ち上がらないアンドリューに、更に脇腹を蹴り上げる。そして、 「何で復讐なんて下らないって分からないの、  何で無くす為に戦ったりするの、  何で自分の足で立とうとしないの、  何で、ちゃんと生きようとしないの……」  淡々と、一つ一つをその身体に刻み込む様に、身体中を強く踏み付けていく。  立ち上がる為の体力を失い、立ち上がる為の気力はもっと以前に失い、ただ自分が痛め付けられる今の状態に置かれて、ただ 言葉が流れ込んでくる。 (死ぬ…のかな…?)  広く平べったく薄ぼんやりと、その言葉が頭を占める様になってくる。  苛烈な責めに見兼ねた士官が止めに入ろうとする時には、アンドリューがそう思い始めて、そしてフラーマは弟を苛む手を止めていた。  気を失い、もはやぴくりとも動かないアンドリューを、フラーマはしばらく見下ろしていた。口は真一文字に結んだまま、何も言わず。 「軍曹……!」  抗議せんと士官が歩み寄るのを無視して、フラーマは弟の帽子を拾い、あちこち内出血で張れ上がった弟の身体を肩に担いだ。 「軍曹!これは軍規を逸脱する……」  士官の抗議を中断させる様に、フラーマは士官を睨んだ。  未だ興奮したまま、しかし哀しげな表情であった。 「……勝手な行動であった事は、承知しています。こいつのやった事の責任まで、とはいきませんけど、私のした事に関しては責任は 取らせてもらいますし、こいつの看護も私が行います。」  手を上げて敬礼をする代わりに、それ以上何も言わず頭を下げて一礼し、彼女は満身創痍の弟を伴い退場した。  医務室の寝台に、アンドリューは寝かされた。上着を脱ぎ銃剣と一緒に置いて、フラーマも同じ寝台に腰掛ける。  先程の形相を捨てたほんの少し穏やかな表情で天井を仰ぎ見て、彼女は呟いていたのか、それとも背後に眠る弟に語り掛けていたのか。 「………私が何考えてるか…分からなかったでしょ?  私は何も言わなかったし、何も言わなくても分かると思ってた。…結構、脳天気かもね。  でも、自分を強くするのは自分、自分で『こうしたい』って思わなきゃいけない…だから、あんたの事を私が何とかしたかったけど、 私に頼らずに自分で行動して欲しかった。それでメカの事が好きになれたのは良かったけど、ひとの事を好きになれなかったのは、 残念だったかもね…  今、私達が戦いに実際戦いに駆り出されてる、って問題もあるけど、それ以前にね…憎いとか、そういう感情で戦って、自分を失う ような戦いをしたら、あんた自身を失う事になる…」  言って、弟を見ながら、彼に自ら付けた腕の打撲傷を撫で始める。 「だから、あんたは私が一度殺した。人間は死ぬ寸前まで追い詰められなきゃ改心しないからね…ま、こんな事言うのは 私だけでしょうけど?  だからこれからは、誰の事も憎まないで。あんたが思うような悪い奴は、思ってるほど多くはないし…」  そして、腫れ上がりかけた彼の頬を撫でる。  表情は、何か別の形容ができるのではないか、というような穏やかさを持っていた。 「…誰も、あんたの事を嫌いになんかなってないし、あんたを待ってる人がいないなんて事も、ある訳ないでしょ…?」  生死の淵をさ迷い、混濁する意識の外側で、何が起こったかよく分からない。  ただ感じたのは、姉の強いイメージ。  そして、ただ「生きたい」と思った事。  一ヶ月後、アンドリューが重体の状態から辛うじて復帰した頃、戦局は絶対的となり始めていた。  生産拠点も宇宙へ送る為の兵器の増産で慌しく動く中、仕事にも復帰した彼は人が変わった様によく働き、上官や同僚にも人当たり良く 接するようになっていた。以前とはうって変わってにこやかに応対するアンドリューの姿に、誰もが面食らったが、一人の人間の変化に一喜一憂が できなくなっている事が現状であった。  地球への直接攻撃が間近に迫っている事は、末端の兵員達の知る所ではなかった。  宇宙で戦う「勇士」達にはついに来るべき、そしてそれを遠く聞く者達にはあまりにも突然、その時はやって来た。  人工密集地に対する成層圏外からの大出力兵器による直接攻撃である。 「東の空が……真っ赤に燃えてるじゃないか……!」  激しい衝撃が大陸を打ったその時、一年戦争の傷跡を癒しつつあった東沿岸部の都市とそこに暮らす人々は業火に焼かれ、空を紅く 染める様子は百数十キロ離れた拠点からも観測できた。  大地の激震はこの生産拠点にもかなりの影響を及ぼし、機動兵器の燃料への引火が元で見る間に炎が上がっていた。  火の手が上がる整備場から逃げ出してきたアンドリューも、呆然と燃え上がる空を眺めていた。 「………何が……あったんだよ……」  その後ろには、やはりいつもの野戦服に見を包み銃剣を担いだフラーマが立っていた。 「……こりゃ、連邦の戦いもこれまでみたいね……」 「?」  やはり呆然と姉を仰ぎ見るアンドリュー。しかし、姉の表情は高揚するでも沈着するでも無く、冷静だった。 「………そのうち、降下部隊が来るわね。占領されたら、あんたは投降しなさい」  そしてその表情のまま、冷静に弟に言い放つ。 「え…? 『あんたは』って、姉ちゃんは…?」 「何言ってるの、私は逃げるわよ?生活の為ならまだしもそれが保証できない連中と一緒に軍人なんてやってたくないし、だからと言って 正直、手負いのあんたを連れてけないしね」  あっさりと言ってのけた姉の言葉に、少なくともショックを隠せないアンドリュー。  …生きたいと思った所で、やっぱり、このひとは自分の何歩も先を行ってるんだ。  このひとに一度殺された。そしてこのひとに命は救われ、生きたいと思った。  なのに。 「あんたは私みたいに無茶な真似はまだできないでしょ?だから、今は生きる事に専念しなさいよ。あんたと私の命を狙う 奴だけが悪い奴…それだけでしょ」  聞いている内に、自分よりほんの少し上背のある姉を見上げる顔が、泣きそうになってくる。  月で別れた時はこんなじゃなかったのに。絶望の度合いが違った、生きる事と死ぬ事に近付いた分だけ。 「…姉…ちゃん…」  声がおかしくなってくる。より、感情という物にも近付いたからか。人という物に近付いたからか。  姉は苦笑し、弟の帽子を取ってみせる。 「……あんたは、何が何でも生きなさい!」  強く言った、次の瞬間には、 「!!??」  奪う様に、姉は弟に口付けをしていた。  驚きに目を見開いた。考えもしなかった事に、身体が震える。  弟の驚きに呼応する様に、微かに笑って姉は身を放した。 「…私が祝福してやったのよ。生きられないはずが無いでしょう?」  その場で、動けない。その言葉だけが、そして姉と一緒にあったこれまでが、ぐるぐると頭の中を回るばかり。  石の様になる弟に、自分が弟の名を刻んだ帽子をもう一度被せ、そして背を向けた。  言葉なんて無くても、分かりきっている事だろう。生きる事は。  そう言わんばかりに、姉はもう何も言わず、燃え盛る基地を去っていく。 「……………」  その背をただ見つめるばかりのアンドリューは、やがて膝を突き、そして地面に手を付き、がたがたと震え出した。 「…ちくしょう……」  いつも前にいるあのひとが羨ましかった。 「…ちくしょう………」  なんだかんだ言って敬愛していたんだろう。あの人に頼る自分が嫌でも、情け無くても、それが付いて行く理由だったんだろう。 「…ちくしょう…………」  だから、あのひとの力になりたかった。 「……何で俺は…こんなに…弱いんだ………!」  歯を食い縛り、大粒の涙を流して、アンドリューは慟哭するばかりだった。  ムゲ・ゾルバドス帝国の占領政策は苛烈を極め、地球に住む人々は服従か死かを選択させられた。その中で、自ら道を切り開こうと 姿を消す者、生きる為に服従の道を選ぶ者…行く道は違っても、その心の中にある物は同じだろうと、後にこの二人は確認する事になる。  アンドリュー・クラッケン17歳、フラーマ・クラッケン21歳の事であった。                 ◇◇◇  なんじゃこりゃ。  記録内容の解析・編纂作業を終えた所で、思わずそう言ってしまった。  いわゆる「英雄」というものの生涯について語る歴史資料は多い。だからそうでは無い、何でも無いいち兵士の記録を見る事が できるのは興味深く、ありがたい事だ。  だがそれよりも気になるのが…スーパーロボット大戦に関する研究を扱ってきて、ようやく俺の望むもの、自分と同じ苗字の人間に 出会った事だ。自分のルーツを探る事を目的とする俺でさえ、クラッケンの名を持つ者に母親以外に会った事が無い。  だが…この話は一体なんだろう。地球に降りた姉が何であんなに強くなっていたのか、弟の敬愛はどこからこんなにも 発せられていたのか。  ……資料が語るものはごく断片的な情報だ。それの影に隠されたもっと多くの事実を類推するのが俺達の仕事なのだろうから、 仕方ないだろうが……  ともあれ、この二人がどうなったかを今後の(個人的な)調査目標の一つとして、今日はこれぐらいで…  リンクバトルが、俺を待っている。                              >continue to next report ======================  文責を負わせて頂きました、アンドリュー・クラッケンPLのDELphalanです。  当初好青年キャラだったはずのアンドリューのバックグラウンドに何があるか、彼の根底に流れるものをCN等で断片的に流してきた 事の補完を兼ねてショートストーリー化させて頂きました。一応彼の落ち込み具合は「本来の彼の性格が露呈した」のであり、PLの 性格が発現した事だけが原因ではありません(^^;  途中からSS化を前提に話を進めていたにも拘らず、作者の技量不足の為話を纏める際に所々話の流れ的が強引だったり表現の不足に ご不満に感じられてしまうような事があるかもしれませんが、今後それを反省しつつ次回以降の執筆に生かそうと考えております。  また、カラバPCの物語であるにも拘らず爽快感のかけらも無い話となってしまいましたが、それも次回の内容ではより楽しめる内容に するように努力致します(^^;  今回の発表に辺り、シホさんPL如月志浪様に前半の一部のストーリーのアイデアのご提供及びキャラクターの貸与を頂きました。 また、アフィーネさんPL結城様・ザッフェさんPLカイザー様・エンカイさんPLうおがし様に発表前の推敲作業をお手伝い頂きました。 深く感謝させて頂きます。  現在、「Cracken's report」は3話までの発表を予定致しております(実現がいつになるか分かりませんが(--;)。 リンクバトラー小説と共に発表の際にご笑覧頂ければ幸いでございます。そして、新WiEでもアンドリューの事を気にかけて 頂きたく思います。鬱陶しかったらごめんなさい(^^;  そして、ご覧下さった皆様に、もう一度お礼を申し上げさせて頂きます。  誠にありがとうございます。                              DELphalan