1.季節外れの訪問者    LiFEのA10基地から遥か北に数千マイル…北アメリカ大陸北部の高原地帯にザッフェはいた。  北極に近く、夏でも温度が上がらないこの地は冬が長い。  季節的にはまだ秋であったが、遠くに望む山には先シーズンの白い雪が残っていた。  第三回大規模作戦での戦闘で新しく受領したリック・ディアスを激しい戦いで失っていた。  そして再度同じ機体であるリック・ディアスを彼は受領していた。  そのリック・ディアスはある程度の改造を加えてあり、ノーマル機体には配備されないビームライフルを手に持っていた。  しかもそれは高精度・高出力型のスナイパータイプのビームライフルである。 「ザッフェよ、実際に使用してみてどうだ?シミュレート時と結果は大きく変わらないと思うぜ?!」  コックピットで機体の点検を行っていたところに、ディオン技術士官からの通信が入ってきた。  人懐っこい丸い目と顎に蓄えた豊かな髭が自慢の士官である。 「ディオン技術士官……ええ、ほぼ計算通りです。30%のエネルギー残量を確認出来ました」  コックピット内のモニター隅に移る彼の映像を見ながら答えるザッフェ。 「この新型ジェネレーターはいい品物ですよ。大きさが従来品とほぼ同等なのに出力比で20%向上してますからね。  重量を増やす事無く出力のみ増やせる・・早く量産化するべきですよ、ディオン技術仕官」  続けて通信するザッフェにディオンが答える。 「わしに関しては敬称はいらんといっとるだろうが。でないとお前の事もザッフェ少尉と呼ぶことにするぞ。  機械いじりをずーとしとったら、いつのまにか階級だけが一人歩きじゃ。ありゃわしとは無関係じゃわい。  わかったな、ザッフェ」  技術一筋な頑固親父を絵に書いたような人物である。 「了解したよ、ディオン。…ところで、今日のテストはこれで終了でしたっけね?」  テスト終了の確認を行おうとしたところに、別の人物から通信が入る。 「ザッフェ少尉・・本日の予定行動は全て終了したようだが、緊急事態が発生した」  今ザッフェが所属しているV10基地司令官であるジム・テイラー中佐からだった。  A10基地司令官のジェリー少佐より年上で、痩せた顔からは神経質な気性が見て取れる。 「先ほど、警戒レーダー網にて正体不明の機体が高速移動中であると確認された。  機体照合の結果、スペシャルズのトーラスと出たが、その速度はおよそ通常の2倍……」 「2倍!?」  ジムからの連絡を受けザッフェは思わず叫ぶ。 「そう普通にはありえない速度だ。考えられる事としては……  トーラスに偽装した新型機、若しくは推進系に何らかの故障が起こり制御不能に陥ったと思われる。  当該機体は徐々に高度を下げており、このまま直進するとオーザックマウンテンに衝突すると推測される。  そこでだ…ザッフェ少尉、この正体不明機の調査を君に命じる。…現状この山に一番近くに位置するのは君なんだ」 「了解しました。小官はただ今より正体不明機の調査に入ります」  ジムの命令を受け、ザッフェはモニター越しに敬礼して命令を復唱する。 「ただし…あの山には雪が残っている。それに加え季節外れの寒波が間もなく当地に襲来するとの予報が入って来た。  恐らく今晩には雪が降り出し最悪吹雪にまで発達する可能性すらある。更に君は雪には不慣れだろうと判断している。  故に危険と判断した時は連絡無しで撤退する許可を予め出しておく。無理は絶対避けるように。  そろそろ君がいる地点からも肉眼で確認出来る辺りを飛行するはずだ…命令は以上だ。頼んだぞ、ザッフェ少尉」  ジムとの通信を終えたザッフェは外部モニターを空に向ける。  そこには高速で移動するトーラスが山に向かっていくのが見て取れた。 「あれか……」  映像を拡大していくと、その外見は確かにトーラスだった。しかしその速度は異常と言わざるを得ないスピードだった。 「よし…一機だけなら、最悪戦闘になっても大丈夫だろう」  ザッフェはリックディアスを山に向けると移動を開始した。    BI−−−−−−−−−!!!!  けたたましいアラームが狭いコックピット内に響き渡る。  モニターいっぱいに広がる白化粧された雄雄しい山々。衝突まで数える時間しかない。 (何故?如何して?)  そんな疑問が彼女の頭をぐるぐると駆け巡るが、現実は思考に否応無く予想される未来を映し出す。  招き入れるのは無か生か。極僅かの時間で判断を下さなくてはいけなかった。  過去三回の作戦に耐えてくれたエアリーズから、上位機種であるトーラス受領許可が彼女に下りたのはつい最近であった。  早く機体を物にしたかった。自由自在に操れるようになり、戦場で足手纏いにならないようになりたかったから…。  その一心で今回、北米大陸偵察の任を自ら引き受けた。  偵察任務だからとは言え一応所属する小隊の小隊長に任務の件を伝え、試運転がてら偵察を行っていたのだが。  たまたま不良品を受領してしまっていたのか、はたまた整備士達の腕が悪かったのか。  …彼女の性格から導き出される言葉は、上記二つは当てはまらない。答えは「自分のせいだから」  何事も全て自分のせいにしてしまい、勝手に一人で背負って落ち込む性格の持ち主。  それがスペシャルズ所属、ヒカル・コウガ2級特尉であった。 「…計器測定不能…制御…不能……通信………不能…!」  本来の働きを何一つしない機器に、コンソロールに向かって片手をバン!と叩き付ける。 (何故?如何して?)  しかし考える時間はない。早く結論を出さねば、この新型機と共にスクラップにされてしまう。  パイロットの手を離れた機械は、主人の意思を無視して無情にも聳え立つ山にと進路を定めている。  心の何処かで慢心していたのかもしれない。増長していたのかもしれない。  上位機を受領でき、あまつさえ支えになってくれると言ってくれた人物を得たから…きっとこれは戒め、天からの警告。 「…ショウ…ゴメンなさい…」  己の分を弁えろと、それ以上の幸せを求めるなと。  コックピット内で呟くと同時に、脱出装置を起動させる。  刹那内臓が上に引っ張られるような感覚に陥り、思わず目と口を閉じる。  直ぐに肌に感じる冷気。その感覚に慌てて両目を開けて、急ぎパラシュートを開いた。  無人のトーラスが山に突撃していく様が、上空から良く見える。  座席後部トランクには、万が一に備えて非常用の道具が幾つか備わっているのが幸いか。  上空に避難して数秒後、乾いた空気にトーラスの爆発音が響き渡った。  その音を聞きながら、沈んでいく心と同じようにパラシュートも地面にと着地して行った。 「…これからの事を…考えないと…」  白く染まる息を吐き出しながら、辺りを軽く見回す。  近くにあるのは、役目を終えたパラシュートに機体から切り離された後部座席…プラス冷気。  残されたものは、幸いにも怪我らしい怪我を負わなかった自分自身と小物数個。  太陽の時間から月の時間にと変わろうとしている現在。もう暫くすれば、完全な闇に包まれるだろう。 「…それに…」  機体制御不能時…数秒の出来事だったが、視界の端に建造物らしき物を確認した。  スペシャルズ基地がこの辺にあるとは知らされていない。  明らかに異常な速度で飛行する物体、何処かのレーダーに引っかかっていると見た方がいいだろう。  …楽観視出来る状況じゃない、そう考えながら軍服の襟元をギュッと締めた。  そう、まさか墜落するとは思っても居なかったので、防寒具の類は身につけていなかったのだ。  いい加減数えるのも馬鹿らしくなるが、ため息を一つ。考えを己の浅はかさから現状にと移す。  あまり動き回りたくなかったがこのまま此処に留まれば、明日には凍死死体が一つ出来るだけ。  夜になれば寒さも一層厳しくなる。せめて寒さだけでも凌げそうな所を探さないと……。 (それに…さっき見えた建物がLife関係の物だとしたら……)  後部座席からMSで待機する時ように備えておいた毛布を取り出し、それを体に巻きつける。  …これで一応ながら簡易防寒具の出来上がりだ。ポケットに携帯食料を詰め込み、移動準備を整える。 「…なるべく使いたくないけど……野生動物もいるかも知れないし…ね」  腰のホルダーに収まっている短銃をそっと触れながら、身を隠すための場所を探すべく歩き出した。  ザッフェが山へ移動を開始してから数時間が経過し、ようやく現場に辿り着いた頃には太陽は傾きかけていた。  移動途中に山中腹で小さな爆発の光と音を確認しており、結局機体はバラバラになったと彼は考えていた。  実際、現場でモニター越しに見る光景にはほぼ想像通り、残雪の上に粉々の機体という惨状が展開されていた。  MS搭乗のまま、つぶさに現場を観察し終えたザッフェは一人考える。 (ふん…見事に機体はバラバラと・・これでは機密保持で自爆したのか、事故なのかも判断できんな……  ある程度形が残っていれば持って帰って分析する手もあるが…さすがに無理か…。  そして…あそこにあるのはパラシュート…一人分か。しかも温帯より南で使用する迷彩柄のパラシュートか…  という事はこの機体は本来もっと南方で使用されるはずの機体だな…急遽北方に投入された偵察機ってとこか…  それが事故起したってことかな?)  ある程度考えを纏めたあと、ザッフェはモニターを赤外線感知タイプに切り替え外部周辺を隈なくチェックする。 (パラシュートを使用し、かつ人の姿は無い…そして残雪に血の後は見られなかった・・  おそらく外傷無しで脱出に成功したのだろう…となると辺りに潜んでる可能性も否定しきれない)  しばらく念入りにチェックするも、人が潜んでいる気配は無かった。 「よし…下に下りてみるか。……念の為の防寒服を積んどいて良かった…」  一人言を言うと防寒服を着込み、ハンドガンのエネルギーを確認する。  小道具の入った携帯袋をウエスト部に取り付けると、機体を地面に膝まづかせ周囲を警戒しながら地面に降りる。 「ふわっ!結構冷えてるな…」  防寒服で覆われていない顔面に当たる風の冷たさに思わず声が出るザッフェ。 「さて…パイロットがどうなっているかだな。そいつを確認しないと…」  回りを見渡して呟いた。そして機体のモニター越しには見えなかったが、実際に雪上に下りてみると人の足跡が残っていた。  パラシュート付近から山の裏側…北側へと続く道沿いに足跡が続いていた。  その足跡の横に自分の足跡を付ける。明らかにザッフェの足跡より残されたそれは小さかった。 (小さいな…もしかすると女性かも…それなら助かる。もし掴み合いになってもなんとかなりそうだ…)  冷静にへっぽこな事を考えつつ、雪上に続く足跡を追跡する。雪上は歩きにくく、白い息が口から吐き出される。 (無理はするなと言われたが…相手はまず一人…まだ大丈夫だよな…)  5分ほど歩いたところで立ち止まり辺りを見渡す。かなり暗くなってきており、足跡も見難くなってきた。 「え〜と、ライトライトっと…」  携帯袋からライトを取り出そうとしたが、誤って落としてしまう。それは岩に当たり少し離れた雪上に転がっていく。 「いけないいけない。寒さで少し手がかじかんできたかな…」  両手を揉むようにして暖めつつ、例の機体のパイロットが付けたと思われる足跡から  少し離れた場所に転がったライトを取りに移動する。  数歩歩いて行き、そしてライトを掴むべく最後の一歩を踏み出した瞬間、視界からライトが消え身体が雪中に沈み込む。 「えっ?!」  それはあっという間の出来事だった。洞窟へと繋がる細い裂け目…  ザッフェは、その上に積もった雪を不運にも踏み抜いてしまったのだった。 「…ん…」  冷気の一風に意識がゆるりと覚醒していく。 (いけない、寝ちゃってた…。)  ペチペチと冷たい頬を軽く叩き、眠気を飛ばす。  薄暗い洞窟の中。申し訳なさ程度に焚き火からパチパチと小さな音を立てて炎が上がっている。  パラシュート着地地点から暫く歩いた先に、偶然見つける事が出来た洞穴。  せめて暖だけでも取らないと…と、これ幸いにと中に駆け込んだのは良かったのだが、  ちょっと目を閉じてしまった時に、そのまま眠りの世界にダイブしてしまっていたようだ。  洞窟の入り口からはほの暗い光が差し込んでいるのが見える。 (もうすぐ夜…。夜は今よりもっと冷えるだろうから…木や枝を拾ってこないと…)  そう考えると、毛布に包まりながら腰を上げ…洞窟の外に出ようとした途端、洞窟の奥から音が反響して聞こえてきた。 「…何…?今の音…」  私以外にも誰か居るのだろうか?私以外の生物が居るのだろうか。  暫し悩んだ後、焚き火から一本のしっかりした太い薪代わりにしていた枝を左手に持ち、利き手である右手は空けておく。  野生動物か人間か判らないが、己の身を守れるよう…何時でも銃を抜く事が出来るように。  毛布は…このままだと動きが鈍ってしまうが、これ以上体温を下げれないので身に着けたままで行こう。  即席松明の小さな明かりで遠くを照らしながら、音が聞こえた方にと歩き始めた。  ……ザッフェは落ちた瞬間の事を思い出しつつ、自分が落ちた裂け目を眺めていた。  それは結構細長い形状で、多分人一人通るのがやっと位の大きさに見えた。  そして、落ちた瞬間の音…洞窟内らしくあちこちに反響して必要以上に大きな音を立てた  ……自分のどじをあざ笑うかの様に感じ、妙に恥ずかしかった。 「あんな隙間から落ちるなんて…最近運が悪すぎるんじゃないか?まあ死なず、気絶せずだから…ある意味、まだましかな?」  一人呟く…だが右腕と左足首がひどく痛みを発しているのを自覚しており、あいにく無傷とは言えない状態だった。  落ちる寸前に左手を伸ばしてライトを掴めたのが唯一の救いと言えるだろうか?  ライトを失った状態で洞窟をうろつくなんて、想像するだけでもぞっとするものがある。 「さて…と」  ライトのあかりを付け、自身の右腕を確認する。痺れた様な痛みがあり、まったく力を入れることが出来ない。  ライトを地上に置き左手でゆっくりと右腕をさすっていく。 「くっ…いててて…こりゃ骨をぽっきりやってるな…まあ、あの高さで右腕一本なら仕方ないか…」  そして次に左足首を触ってみる…こちらはどうやら捻挫だけらしい。  歩く事…壁伝いでゆっくり程度…は可能だが、それ以上の動きは期待出来そうになかった。 「右腕左足使い物にならずか…戦闘力ほぼ0だな…追跡はあきらめてリックにまで戻る事を考えなきゃ…  今あの機体のパイロットと出会うと、俺がやられちまう」  よろよろと壁まで張って行き、ライトを掴んだ左手を壁に当てる。それを頼りに上体を起こし、壁伝いに歩き出した。  だが数歩も歩かないうちに、ある気配を前方に感じる。 (何かいる…なんだ、この感じ…人じゃないぞ)  足元付近を照らしていたライトをゆっくりと前方の奥の方に向ける。  光の中には毛むくじゃらの動物・・灰色熊が浮かび上がってきた。 「く…くまさんか…やばいかな?」  この足では逃げ切るのは無理・・でも今背中向けたら、多分襲い掛かってくる…  そう判断すると静かにライトを足元に置き、左手でハンドガンを握る。 (左手で…うまく当てる事が出来るのか?最低限の訓練はやったが…)  不安感から、ずっと熊に向けていた視線を左手に握られたハンドガンに一瞬向けた。  まさに一瞬であったが、野生の動物はその隙を逃す事無く素早く接近する。 「くそっ、来ちまったか!!」  ザッフェは不慣れな左手で照準をつけるとトリガーを引く。  洞窟の中で決して大きくはないが、反響のせいで普段よりは大きな銃声が数回鳴り響いた。  遠くから聞こえてきた音は…発砲音!?  誰か人が居る!銃を撃つなんて余程の事なのだろう、そう思うや否や既に走り出していた。  どのくらい走ったか…前方に小さな明かりが見えてきた。  が、その足がピタリと止まる。明かりの手前には…何か大きな物体が動いているのが見えた。  その場に毛布と即席松明を置き、右手に短銃を持ち構えて…慎重に前に前にと歩いていく。  地面に転がっている明かりに照らされ姿を現したのは、巨大な熊と銃を持つ男性の姿が飛び込んできた。  そのヒカルがすぐ近くまで接近している事も知らず、動けるスピードで後ずさりしつつ、発砲を繰り返すザッフェ。  的そのものは大きく灰色熊の体に当たってはいるが、利き腕ではない事もあり急所には当たらない。 「このっ!このっ!当たれよっ、このっ!このっ!」  しかし灰色熊が接近してくるのを止める事が出来ず、目前に迫ってくる。  捻挫した左足首を庇うように下がっていたが、地面の出っ張りに足を取られ激痛が走る。 「つうっ!」  全身を貫く痛みに顔を歪め、思わずその場にへたり込む。 「其処の男性の方!今、助けますッ!!」  このままでは男性が危ない。まだ熊が此方に気付いていない内に…と、急ぎ両手で銃を構え、弾丸を熊にと数発発砲した。  下から照らしている明かりと、この距離なら外さないだろう…と判断して。  発砲音が洞窟内に響く。その弾は確実に急所である熊の頭部に命中し、  目の前の熊は頭を飛ばされた勢いでそのまま仰向けに倒れた。  助けられたかたちとなったザッフェは痛みをこらえ後を振り向く。  そこにはスペシャルズの軍服を着込んで両手に銃を構えたままの華奢な女性がいた…  彼女は暫く銃を構えたまま倒れた熊を凝視していたが、熊はピクリとも動かずに仰向けになって静まっていた。  それを確認して漸く口から安堵の溜息が零れた。 「…良かった…。大丈夫ですか?…………………えっ!?」  件の熊に襲われていたであろう男性に向かって話し掛けた…が、その男性が着衣していた服に、短い驚きの声があがる。 (あれは…襟元から覗くあの階級章は………LiFEの…。じゃあ…この方は…)  LiFEとスペシャルズ。同じ地球人類とは言え敵対関係にある二つの勢力。其処に所属する兵士同士の邂逅、殺し合う間柄。  銃口を倒れた熊から男性にと向けて、この場をどう切り抜けようか思考を巡らし始めたが、  不意に何か違和感を感じて意識を考えから座り込んでいる男性にと動かす。  力なく垂れ下がっている右腕、暗がりでも薄らと判る多量の汗。 「…何処か怪我でも負ったのですか?応急処置程度なら出来ますが…」  銃を男性に向けながら心配する…説得力なんて無いなと内心思わずにはいられない。  男性の手には未だ殺傷能力を秘めている銃が残されている。不用意に警戒されて…BANG!となったら目も当てられない。  相手に警戒心を抱かせないよう出来る限り柔らかめの声で話し掛け、  もし怪我をしているのなら傷の具合を確かめようと足を一歩踏み出した。 「それ以上近付くな!」  広くない洞窟内でザッフェの声が響く。  銃を構えたまま近付く女性…スペシャルズの制服を着込んだ女性…に、  地面に座りこんだままのザッフェは身を捻るようにして銃を向けつつ叫ぶ。 「君は…スペシャルズの兵士だな。あのバラバラに四散した機体のパイロットか…  …熊を排除するのに助力してもらって事に関しては感謝している。礼も言おう。  だが…そこまでだ。これ以上関わりあう事はお互いの為にならない…」  目の前の女性士官から視線を逸らす事無く、身体を徐々に回転させて彼女に対し正面を向く。  その顔付きは普段の彼からは考えられないほど険しく、また異常なまでの汗を額に浮かべていた。  それは骨折した右腕と捻挫した左足首の痛みは時間が経過しても変わる事無く、彼にダメージを与えつづけていたからである。  そしてそれは容赦無く彼から体力を奪い去り、今や気力を振る絞る事でなんとか身体を支えている状態だった。  このような身体で敵兵士と渡り合う事など出来るはずもなく、彼に選択出来る唯一の対抗手段はもはや脅す事だけだった。 「もう一度言う。この場から立ち去れ。それがお互いの為だ」  銃口を彼女に向けたままザッフェは言う。だが、その腕は身体を支配している痛みからか震えており徐々に下がり始めていた。 「お断り致します」  唐突に響く静止の声。声の強さに足が止まり、銃を構えたまま男性を見つめ、続く言葉を耳に入れていた。  が、銃口を向けられながらもキッパリとその言葉を突っぱねた。  誰がどう見ても、目の前で威勢を張っている男性は満身創痍。それは震え、下がっていく腕を見れば一目瞭然だった。  確かに私はスペシャルズで、この方はLiFE。  男性の言い分も勿論判る。敵同士が関わりを持つのがどれだけ危険な事かも理解しているつもりだ。  だから本当は、このまま背を翻し何も見なかった事にしてこの場を去るのが一番良いのだろう。  ならこのまま去ったらこの男性はどうなる?  日の入りと共に急激に気温が下がっていく洞窟内。五体満足なら兎も角、怪我人はどうなる?  満足に火も熾せず、暗い洞窟内に一人寒さに震え…凍死する気だろうか?  其処まで考えると、徐に手に持っていた短銃を男性の方に滑らせ、攻撃する意思が無い事を伝える。  これで丸腰だ。自ら攻撃手段を手放した。攻撃されても文句は言えないし、言うつもりも無い。  そして再び男性の方にと歩みを進める。撃たれても良い。何もしないで後悔し続けるのは嫌だから。  死にたくないと言えば嘘になるが、自分の安全を護るばかりに人の命を救う事が出来ない…そんなのは嫌だ。  一歩、一歩と確実に足を踏みしめ、座っている男性にと近づく。  途中何度も銃声が響き、その度に足を止めてしまったが…体に異常が無いと判るや否や、直ぐに再び歩き出す。  男性を間近で見下ろせる位置まで移動すると、自分もまた腰を下ろし相手に視線を合わせて口を開いた。 「お互いの為と言うのは、それはLiFEとスペシャルズの為でしょう?  今は私個人と貴方個人しかこの場に居ませんし、ありません」  此処で一端言葉を区切り、小さく溜息を零す。何を馬鹿な事を言っているんだ、と言った自嘲めいた溜息。  それでも話すのを止めず、真っ向から相手の瞳を見つめ…毅然とこう続けた。 「……私のこの言葉が如何に軍人らしからぬ言葉だとはいえ、それでも怪我人を見ない振りをして背を向けたくはありません。  何も出来ずに後悔し続けるのはもう嫌なんです。私は貴方を助けたい。この気持ちは可笑しいものですか?  人間として変な事でしょうか?撃ちたくば撃ちなさい。  この場を引くつもりは毛頭ありませんし、抵抗するつもりもありませんから」  何時から自分はこんな大層な言葉を言えるまでに成長したのだろうか。  此処で死んだら何も残らないというのに。死んだらお終いだというのに。  それでも自分の思いを捻じ曲げてまで、他人を見捨てる事は出来なかった。  ザッフェの目の前には、スペシャルズの女性パイロットがいた。  ザッフェが制止するにも関わらず、攻撃意図が無い事を示す為に自らの銃を手放し歩み寄ってきたのだった。  勿論ザッフェも無抵抗では無く、彼女の決心を翻させる為に手にした銃で威嚇射撃を二度三度繰り返した。  威嚇だったのは当てた所で手当てできるほどの余裕も無く、それは命を奪う事にしかならないと判断したからである。  殺してしまえば捕虜に出来ない事からも、正直当てる気は無かった。逃げてくれればそれでいいと思っていた。  それでも彼女は最終的にザッフェとの接触を望んだ。それは怪我人を捨て置けないという一点からの行動だった。  その様な事を彼女がゆっくりと話す事を聞いている内に、ザッフェの脳裏にある事が浮かび上がってきた。 (私は貴方を助けたい…か。以前、俺がジャンヌに言ったのと同じ様な事を言う…  それも、何かの知り合いや深い友人なら兎も角、こんな初対面の人間に向かって言うとはな…  甘いな・・だがそれも悪くない…)  彼女の話を聞き終え、ザッフェは口を開く。 「甘い考えだ…よくそれで今まで戦場で生き残れたものだと感心する。  最も…そんな考えを心地良く思う俺も甘いんだろうが…」  痛みをこらえ、顔をしかめたままで言葉を吐き出す。  日が落ちた後、確実に外気は冷え込みだしている。それにもかかわらず、彼の額には大粒の汗が浮かび上がる。  痛みに耐える事…それは敵を目の前にした敵対心から湧き上がる気力だけが可能にさせていた。  だが彼女の言葉はそんなザッフェの気力をかろうじて持たせていた敵対心を融解させていった。 「…威嚇とは言え…発砲した事…謝っておこ…」  続けて彼女に話そうとした言葉を全て言い終わる前に彼の精神力の泉は完全に干上がってしまい、  そのまま後ろ向けに身体が倒れ始めた。  ふいにグラリと男性の体が後方に倒れていく。慌てて両腕を伸ばし、腕を男性の背に絡ませて、倒れていくのを何とか防ぐ。  …が、如何せん体格差があり過ぎて、自分の力だけでは男性の体を支える事が出来ない。  仕方なくゆっくりと腕を下ろしていき、男性を静かに地面の上にと仰向けに寝かせた。 「…ちょっとの間待ってて下さいね…」  額に浮かぶ汗を拭き取りながらそう呟きながら立ち上がり、男性の元を離れる。  途中地面に置いてあった毛布を片手で拾い上げて、自分が居た場所へと全速力で戻って行った。  毛布に包んで運んできた木々に、松明代わりにしていた木で次々と火を点ける。  狭い洞窟内に漸く灯りが広がり、ゆっくりとだが周りの温度も上がっていく。  薪にする木とは別に添え木用にと分けておいた木で、男性の右腕を固定…しようとしたが、  包帯や布の類が無かったので自分の士官服の両袖を切り裂き、それを代用品とした。  木を運ぶのに使った毛布を男性に掛けながら、自分は焚き火が消えないように…と、じっと火を見つめ、  必要とあらば木をくべていく。  …最も大した数の木や枝を持って来れなかったので、そう頻繁に木をくべていく事は出来ないが。  露出した両腕を摩りながら、男性が自分に言った言葉を思い出す。 「甘い考え…か…」  チラリと視線を右に投じ、そこで懇々と眠りについている男性を見つめる。  あの時、男性を助けずにいたらどうなっていたのだろう。あの時、威嚇射撃に怯み背を向けていたらどうなっていたのだろう。  今とは違う未来を迎えていたらどうなっていたのだろう。 「…やめよう…考えるの…」  ふうと軽く息を吐き出し、再び視線を火にと向ける。 『深く考えるのは悪い癖だ』と何度も言われた事を思い出し、無理矢理こう結論つけて考えを止めた。 「助けたいから助けた。これで良いじゃない…」  これから如何するか。まさかこのまま此処に居続けれる訳も無いので、如何にかして連絡手段を得ないと…。  彼是と今後の事を考えながら、寝ずの番に就こうとしていた。  パチパチッ…火が点された木がはじける音と揺らめく赤い炎が意識を失って倒れたザッフェを現実世界へと誘い、  ようやく覚醒する事が出来た。  ゆっくり開けた目には、炎に照らされた色気のカケラも無い洞窟の天井がぼやけて見える。 (……そうか、気を失っちまったか…情けない)  倒れる前の事を断片的に思い出して、一人毒づく。  そして身体に掛けられた毛布の存在に気付き、左腕を使ってゆっくりと身体を起す。  そののそりと起き上がっていく様をヒカルは見つめながら、  『無事で良かった』と思う半面『あんな応急処置で大丈夫なのか?』と心配が募る。 「ふう…」  ザッフェは大きくため息をつくと、折れた右腕を確認するように左手を当ててみる。  そこには既に添え木で応急処置された右腕があった。  とりあえず固定されている為だろうか、先ほどまでの泣けるような痛みはとりあえず治まっていた。 「おや、これは…」  ザッフェはその右腕を確認すると慌てて回りを見渡す。  そこには先ほどの女性兵士が寒そうに露出した両腕を擦りながら彼を見ていた。 「君が手当てを…そうか、ありがとう。」  座ったまま彼女に頭を下げる。そして左手で彼に掛けられていた毛布を掴むと彼女に掲げる。 「もう俺には必要無いから、これは返しておく。今夜は季節はずれの低気圧が来るらしい…多分雪が降る。  もっと気温は下がってくるはずだから・・これがなきゃ辛いよな」  敵兵士にでない、普段の顔付きに戻ったザッフェは彼女に笑いながらそう話し掛ける。 「…私より、怪我をして体力を消耗している貴方の方が…使うべきですから…。気にせず、使って下さい…」  その場から立ち上がり男性の手にあった毛布を受け取ると、やんわりと断りながら再び男性の体に毛布を肩からかけていく。  寒くない訳ないが、此処で私が寒そうにしていれば…この方に余計な心労をかけてしまう。  今のところ自由に動ける私がしっかりしないと。  彼女に掛けられた毛布に手を添えながらザッフェは言葉を繋ぐ。 「私の名はザッフェ・カイン。階級は少尉だ。君は…?」   2.スペシャルズとLiFE  元居た位置に腰を下ろした時、ふいに男性から質問を受ける。  ザッフェ・カイン…?  確か…基地のデータベースで名前を見かけた事がある。  実際に同じ戦場に立ち交戦した経験は無いが、LiFE古参兵の一人で、  同LiFE内Einherjar小隊長を努めていたと記憶している。  そのデータ上の人物でしかなかった人物が、怪我をして今目の前に居る。 「…お初にお目にかかります。スペシャルズ所属、ヒカル・コウガ2級特尉です…」  どう接すれば良いのか判らず、当り障りのない面白味のない返答を返す。  意識が戻ったのは嬉しいが、どうやってこの間を取り繕えば良いのか判らず口を閉ざしてしまう。  正直、何を話していいのか判らない。  此処でこうしている事が『双方の為にならない』のなら、せめてこうやって沈黙を守った方がいいのでは?  まさか軍内部の事を話す訳にもいかないし…。 「…起きていると体力使いますから…寝て下さい。火は私が見ていますから…」  何とか言葉をと思い、ザッフェの方を見ながら瞳を細めて口を開いた。    毛布を返す申し出はやんわりと断られ、再び毛布をかぶるザッフェだった。  彼を助けてくれたスペシャルズの女性兵士・・ヒカルは必要以上の会話を嫌うように、  火の番をしているのでザッフェに寝る事を促していた。 (まあ…もうしばらくだけ借りとこう。ここで押し問答しても…な)  自由になる右足と左腕を駆使して地面に寝ていた状態から、洞窟の壁に背を預け座る様な姿勢を取る。  そして返された毛布をもてあそびながらそんな事を考えていた。  ………彼女の言葉を最後に、再び沈黙が二人を襲う。その重さに耐え兼ねてザッフェは再び口を開く。 「あ…ヒカル…君。これはここに調査に来る前に聞かされた情報なんだけど…」  無言のまま、こちらを見ていた彼女に話し掛ける。 「今、季節外れの低気圧が接近しているらしい。…もう気付いていると思うけど、今晩は雪が…  それも結構激しい風混じりの雪になるらしい。要するに、もっと冷え込む事になると思う。…気を付けてくれ…」  そこまで話して落ちの付け様が無い事に気付く。 「気を付けろと言っても…どうしようもないか」  ははっと小さく笑うとヒカルを見つめる。彼女からも思わず苦笑が漏れた。  雪が降ると判っていても、彼の言うとおり如何する事も出来ないのだ。  最初に彼女を遠ざけようとしてた人物と今の冗談?を言う彼とがイコールで繋がらなかったから…  と言うのがあったのかも知れない。零れた笑みがきっかけとなり、少しだけ張り詰めていた彼女の心が和らぐ。  光の差し込まない洞窟内をうす赤く照らす幾つかの炎が、彼女の頬に神秘的な赤みを照らしていた。  それは、家の暖炉前で火に当りながら色々な話をしていた子供の頃の記憶を思い起こす効果をザッフェに与えていた。 「……貴女は何故スペシャルズなのですか?」  唐突な質問を彼女に投げかける。  昔を思い出させた炎の明かりは彼の心の警戒心を解き、まるで以前から知り合いだった様な感じで話し掛けていた。 「ああ…失礼。いきなりぶしつけでしたね…でも、気になったもので…」  左手で頭をかきつつ彼女に謝る。  吐き出す息が白く染まっているのを見つめていると、予想外の質問を投げかけられた。 『何故スペシャルズなのか』…と。  目を若干見開きながらザッフェを見、答えを探すように視線を焚き火にと戻す。  何故スペシャルズなのか…は、『何故スペシャルズに入隊した』との意味なのだろうか。  それとも『何故貴女みたいな人がスペシャルズに居るのか』なのか…。 「…私がスペシャルズに居るのは…」  過去から逃げる為に。父から逃げる為に。居場所が無いと探しもせずに勝手に嘆き、一人で居る事を決意した時。  極論、スペシャルズに…軍隊に入る必要も無かった。逃げるだけなら軍人になる必要なんて無かった。  それでも軍人の道を歩もうと思ったのは、生死不明の長男の存在があった。 『俺には家族を護る義務がある…長男だからな、帰ってくる…絶対に』  軍人の肩書きからそう思わせたのか、長男の義務からそう思ってたのか。  真相はどちらにせよ、幼心には『軍人=人を護る人』と目に映った。だから私も家族を護りたいと思って…軍隊に所属した。  でも現実は何時も違う。軍人は戦争をする人なんだと…気付いた。護りたいと思いながらも、護る為に何かを破壊する。  傍目には矛盾にしか映らない行動しか出来ない自分、それがスペシャルズ2級特尉ヒカル・コウガの真実。 「スペシャルズは私にとって第2の家であり、大切な人が沢山居る場所…なんです」  欠片の寄せ集めのパーツ、それが私。でもその私にも…漸く『家』が出来て『人』が出来た。  自分にも出来る事がやっと見つかって…それで…。  スペシャルズが正しいのか正しくないのか…判らないけど、此処が私の居場所である事には代わりが無い。 「……自分でもはっきりと判っている訳じゃ無いのですが…」  しかしこれ以上の巧い言葉が見つからず、ただただ苦笑を漏らすのみ。  敵将に何故話したのかも判らなかったけど、これだけは伝えたかったのかもしれない。 「なるほど…大事な居場所…って訳なのですね…」  ヒカルが途切れ途切れに答えた言葉をじっと聞いたいたザッフェは白い息と共に口を開いた。 「残念です…特別スペシャルズである必要が無ければ…あるいは先にLiFEと接触していれば…  今頃はLiFEこそが貴女にとって大事な居場所になっていたかもしれなかったのに」  少し離れて座る彼女を見つめザッフェは言葉を続ける。 「昔共に異星人と戦った仲間の一部は、スペシャルズだから、を理由にしてスペシャルズに加わった。  それと比べると貴女とは敵対する理由はもっと小さい。それだけに残念です…」  残念?敵対する理由が小さいから…残念?  居場所は何処にだって作れる、それが私の場合はスペシャルズだったと言う事だけ…それが残念な事なのだろうか。  残念に思われる程の人間なのだろうか。他の…敵対している人間に此処まで思われる程の存在なのだろうか。 「…クシュン」  一層冷え込む周りの温度に、とうとう体が耐え切れなくなったのか『寒い』と意思表示を始める。  ザッフェ少尉の言を推測するなら、この近くにLiFEの基地があるのだろう。  今の己の所持品の中に小型通信機があるが、今此処で使うべきだろうか…?  これから更に体感温度が下がっていくのなら、体が動く今のうちに出来る事をするべきではないのか。  此処で死を選ぶよりは生きるべきだと、まだ離れたく無い人達が居る以上は…死にたく無い。  …最も通信が繋がるとは限らないのだが。 「これから如何しましょうか…このまま一晩明かして助けを待つか…」  如何すればザッフェ少尉と一緒に此処から無事脱出出来るのか。  かじかんできた手をぎゅっと握りながら、今後取るべき選択を考え始めた。  そんなヒカルにザッフェは答える。 「流石にそれでは耐え切れないでしょう…出来ればこの毛布に二人で入っておきたい。  こうすればお互いの体温でもう少し凌げるだろうし…。  天候に関しては、秋深い季節は言えまだ冬って訳でもないので多分今晩一晩…  遅くても朝遅くにはこの吹雪も治まるはずだ。そうすれば、お互いの救援が来るだろう。  それまでの辛抱だ。最も、今頃は未だ帰投していない私と貴女の所属する基地で  救援を出す出さないで大騒ぎになっていると思うけどね…」  と答える。 「それと…仮に救援を呼べる手段があったとしても今は呼んではいけない。二重遭難の恐れがある。  被害は常に最小限に抑える事を最優先…自分のドジの尻拭いに他人を危険に巻き込むのは嬉しくないだろ?  危険を犯してまで助けに来てくれる人ならばなおさらの事…そして軍人としてもね…」 「………え?」 『其処まで残念に思うのか』…そう訊ねようと口を開いたが、出てきた言葉は、短い小さな単語だった。 「…毛布に二人って……その…」  言わんとする事は判るが、『毛布に二人』の部分に驚きを隠せれない。 「私なら…大丈夫ですから……あの…お気になさらずに…」  二人で毛布だなんて…恥ずかしいし、こんな所を見られたら…。  奥ゆかしいのか、身が硬いのか、…不用意に人に近づくのを恐れているのか。 「一晩だけ…一晩経てば……」  余程動揺しているのか、普段口にしない己の思考まで独り言のように喋りだす。 「ですから気にしないで…下さい。火もありますから…大丈夫…」  凡そ説得力を感じられない発言を続け、ザッフェ少ら距離を開けようと、今座っている場所を移動し始めた。 「待て待て」  一晩だけ我慢すれば何とかなるとの判断から、  ザッフェが言った提案から逃げるように移動し始めるヒカルに言葉を投げかける。  そして言葉と同時に被っていた毛布を怪我していない左手で掴むと彼女に向かって放り投げる。  それはちょうど移動しかけた彼女の膝の上に覆い被さった。 「毛布は返しておく。これは元々君のだからね。それに…貴女が目の前で寒そうに震えている姿は見たくない。」  少し笑うようにそれだけ言うと、毛布を失って寒く感じた身体を温める為に  二人を囲むように燃やされたいる焚き火の一つに身を近づけていく… 「今晩だけ…遅くとも明日の昼には天候も回復するだろうから…  余程の事が無い限り死ぬような事にはならないだろう…だが二人して眠っちまうような事になると少しまずいだろうな」  焚き火の炎に照らされた顔を彼女に向けながら、呟くように声を出す。  彼女に語りかけたのか、それとも自身への確認の為の言葉なのかは判らない。 「だから…とりあえず寝ないようにね、もう少し君の話が聞きたい。  先ほどの貴女の弁だけがスペシャルズを選んだ理由の全てなら、  そのグループがスペシャルズである必然性は無い事になるんだけど…」  ここで言葉を一度切る。ここから先を話していいものかどうか少し悩んでいた…  場合によっては原隊復帰しか彼女からこの話が上層部に漏れ伝わると、  これから話す人物に何らかの問題が生じる可能性が考えられたから……。 「いやね、貴女が知っているか否かは知らないが…私のかつての仲間で、今はスペシャルズに属している人物がいる。  名はルクス・フィスト。彼とは一度だけ戦場で相まみえたよ…その時あいつは言った…」  スペシャルズ基地に配備されたガンダムの強奪を決行した日の出来事であり、  ザッフェの脳裏にはその時の光景があたかも昨日の事だったかの様に鮮明に焼き付いていた… 「戦乱で混乱している地球には秩序が必要だと…ゲリラの活動は結果として地球上の混乱を助長し、  罪なき一般市民を無意味に苦しめている。  今のゲリラに帝国の支配を押し戻す力が無い以上は、帝国側の支配の元に早急に秩序を回復すべし。  それがあいつの言葉だったよ…そして、その為にスペシャルズを選択したと…」  ザッフェはヒカル嬢の目を見つめながら話していた。  先ほど話した理由以外にも、スペシャルズを選択した理由があるのではないかと問い掛ける眼差しで… 「…ルクス一級特尉が…?」  パチパチと弾ける火の粉を視界の端に入れながら、手元に帰ってきた毛布を所在なさげに弄る。  ルクスがザッフェに語った言葉は理解できる。  結局の所LiFEもスペシャルズも目指しているものは同じ、ただ思想の違いがお互いの対立にと繋がってしまったのだろう。  秩序という名の現実を掲げるスペシャルズ。平穏という名の理想を掲げるLiFE。  そのどちらもが「異星人達からの解放」を求めてる。  だったら…やはりザッフェ少尉が言うように、「何もスペシャルズに所属する必要性は何処にも無い」のだ。 「最初」に「LiFE」に行っていれば…行っても、きっと同じ事をしている自分の姿が容易に思い浮かぶ。  何処に居ても「居場所」と「大事な人」は出来るものだ。  それでもスペシャルズを選んだのは…。 「…私には…そんな大義名分なんてありません…。そう言った確かな信念の元スペシャルズに所属した訳でも…無い…。  それでも…スペシャルズを選んだのは…」  足の上に覆い被さっている毛布を両手で強く握り締めながら、視線をザッフェにと向ける。 「…………母がLiFE兵に殺されたから…………」  この時どんな顔をしていたのだろう。私は復讐の為にスペシャルズに入ったのだろうか?  愛された記憶の無い母を失って…悲しんだ…のだろうか?  この辺の記憶は酷く曖昧で、自分でも良く覚えていない。覚えているのは…泣いている自分の姿だけ。  今話した事がスペシャルズに入る直接の理由になるのか判らないが、これ以上の理由は思いつかなかった。 3.戦争の罪  ぱちぱちっ……と炎の中で木がはじける音が静かに広がる。沈黙が二人を支配していた…。 「そうでしたか…お母さんがLiFE兵士に殺されたのですか…それは十分な理由ですね…貴女にとっては…」  肉親が戦争の中で殺される…今や珍しくも無い事と言えた…当事者以外にとってはの話だが… 「一つ教えて下さい…お母さんは軍人…スペシャルズの兵士だったのですか、それとも普通の民間人だったのですか?」  ザッフェがヒカル嬢に尋ねると、彼女は質問の意図を理解しかねたのか複雑な表情でザッフェを見つめる。 「もし、軍人…そうスペシャルズの兵士だったのなら、恐らく貴女のお母さんも多くのLiFE兵士を死に追いやったと想像出来ます。  そして、その殺した兵士の数だけ貴女と同じ様な境遇の人を生む出していった可能性も否定出来ないのです…。  戦争ですからね、仕方無いんです。もちろん仕方無いなんて言葉は嫌いなんですけど…他に適切な言葉がありません。  縁も縁も恨みも無い相手を殺さなくてはいけない…限りない将来を奪わなくてはならない…  そして普段の生活では罪となる人殺しが、ある一定条件下で推奨される…それが戦争の最大の罪なんです…  私の兄も一年戦争時…ジオンとの戦いで、恐らくはソロモン攻略戦時に戦死しています。ですが恨むつもりはありません。  兄もそれまでに両手で足りない程のジオン兵を殺してきたのでしょうから…お互い様、とでも言いましょうか…」  感情を表に出さず、ただ淡々とした口調で彼女を真っ直ぐ見ながら話す。  今自分はどんな表情で彼女を見ているのだろうと思いつつ・・ 「そしてもし民間人なら、私は貴女に謝罪しなければならない。同じLiFE兵士が犯した過ちに関して…  ただ…ご存知の通り、LiFEとは各地のゲリラを組織して大きな集団となりました。  その過程に置いて、私が属している旧連邦軍兵士のグループもあれば、  山賊崩れや急進的な過激派想グループなども加わっています。  その点から言わせて頂けるなら、例え同じLiFE兵士であってもその程度には雲泥の差があるはずです。  あまりに目に余るような連中なら、秘密裏に処分する事もあるのでしょう…」  ここまで話したザッフェの脳裏に数人のメンバーが頭に浮かぶ。  シンディ、シホ、シルヴィアそしてイン。……隠密行動、そして暗殺術に長けた連中……。  詳しく事情は当然知らないものの、恐らくは独自の判断でLiFE内の外道な連中を排除しているとザッフェは想像していた。  申し合わせたように連絡が取れなくなり、数日後には原隊復帰している…彼ら達。  MSの操縦と最低限の格闘術した出来ないザッフェに彼らを助ける事など出来ず、それゆえメンバーから外されていると…  …一瞬別の事を考え出したザッフェは、意識を元に戻すと話を続ける。 「が、その全てに目が行き届いていないのもまた事実だと思います。  …極普通のLiFE兵士が上層部の正当な命令で貴女のお母さんを殺害したのなら…  それこそLiFEが地球解放を目指すゲリラから道を踏み外したと言わざるを得ない…そんな事は有りえないはずなのですが…」  ザッフェは己の思いを目の前の女性に晒し出した。そして更なる答えを求めた。  それは彼女にとって忌まわしき記憶を再度呼び起こす事を要求する事であった。  が、それを判っていながらも聞かずにはいれなかった……  家族を護る為に兄は軍隊に所属して、誰かも判らない人を殺した。生きようと足掻いた母は、名も知らぬ兵士に殺された。 「……連絡を受けたのは…母が外出してから数時間後…。  私の住んでいた家は…市街地から離れていて……往復に時間がかかる場所で…」  ゆっくり、ゆっくりとずっと心に閉じ込めていた記憶を蘇らせていく。様々な理由があり過去を押し留めていた。  人には言いたくない過去だってある。だけど悲劇のヒロインにはなりたくない。  己の過去を曝け出して、同情を買う…そんなのは嫌だ。憐れんで欲しいなんて思っていない。  だから、話せれる部分だけ話す。  話して楽になる部分もあるけれど、全てを話せれるほど…残念ながらまだ其処までザッフェ少尉の事を良く知らない。  短いながらも言葉を交わし、凡その人柄を掴めたけど…それだけでは全てを話すのにはまだ…だから。  それでもこうして『話そう』と思ったのは、何処か安堵してしまう雰囲気を少尉が持っているからだと…思う。  ちゃんとこうして会話を出来、自分なりの意見を教えて下さった少尉に少なからず好感を持ち始めているのもまた事実。  …それだけにLiFEとスペシャルズと言った垣根が、今はとても高く見えてしまった…。 「…街に向かった時には全部が終わっていて、路上には燃え燻っている瓦礫と横たわっている  …母の体と無数の息絶えた姿だけが……冷たい母の手には、地球連邦軍の階級章が…握られていて…」 『この痛ましい事件はゲリラの連中が引き起こしたものだ』  …後日地方TV内で声明を発表するスペシャルズ兵士の姿を、やけに鮮明に覚えている。だからLiFEが殺したと思った。 『兄が所属した連邦軍は、民間人を殺すのに何の躊躇いも持たない集団だったのか』  母の質素な墓石を見つめながら、そんな事を考えていた昔の私。だからスペシャルズに入った。 『連邦軍は民間人を殺す集団だから』  でもその思いは…何かがおかしいと告げ始めていた。同時にスペシャルズに所属して疑問も抱き始めている。  事務処理等をして気付いた。 『情報工作なんて日常茶飯事』だという事実。 『地球圏の平和を護る為には、瑣末な事に囚われてはいけない。清濁使い分け、一刻も早い平和を』等宣言し、  そう言う不正を推奨…黙認している事実。巨大な組織になればなるほど、一枚岩では済まなくなる事実。  スペシャルズの行いは、かつて見た連邦軍の姿と何ら変わらない。  いや…本当にあの時連邦兵が起こした戦闘だったのだろうか、それすらも疑問に感じ始めている。  だけど…そんな組織にも良い人はいて…私は…その人達に助けられて…助けたくて…。 「…復讐を望んでスペシャルズに入った訳じゃ無いんです…。これだけは…信じて下さい」  思想の違うスペシャルズに残って何を成したいのか。内部から変えていけるだけの力も発言力もない人間が何を出来るのか。  判らないけど…だけど、大事な人の出来たスペシャルズをこのまま見捨てたりはしたくない。これがスペシャルズに留まる理由。 「…ゴメンなさい…纏まりの無い言葉で…」  焚き火越しから此方を見つめるザッフェに苦笑を見せながら、答えられる範囲の答えを示した。  少し距離を置いたまま、彼女は一言一言噛み締める様に言葉を繋いでいった。  封印された箱をもう一度開けて、必要なものを取り出すように… 「なるほど…大体の事情は掴めました…」  彼女の一言一句、そして言葉に出来ない事すら見過ごさないように神経を研ぎ澄まして聞いていたザッフェは静かに口を開いた。 「今となっては真相は闇の中ですが…LiFEが街を襲撃して無差別に民間人を殺害する事はありえません。  我々はの民間人を解放する側であり、例えその街が帝国側の支配下に置かれていたとしても、攻撃する理由にはならないのです。  あくまで攻撃対象は帝国とそれに属するスペシャルズ…これらを討てば街は自ずと解放に向かえるのです。」  大きな声で無く、あくまで淡々と語る。出来るだけ刺激しないようにと願いながら… 「…ありえる線としては、先ほど話したゲリラ過激派の仕業。もしくは…貴女も薄々感ずいているかもしれませんが  …スペシャルズの裏工作…。……あくまでも可能性に過ぎませんがね…」  彼女の顔色を窺いながら、慎重に言葉を選んで話を続けた。  しかし過去の事でもあり流石にこれ以上は水掛け論になりかねないし、彼女の感情も害しかねない。  そう判断して、話題を他にスライドさせた。 「短い時間ですが、今までの会話で貴女の人柄は何となく感じる事が出来ました。  復讐の為にスペシャルズに入ったのでは無いという貴女の言葉…信じます。  でも…人は意識しない部分に闇を抱えています。何かの拍子にそれが暴発し制御出来ない事があるかもしれないのです。  どうか肉親を失った悲しみに負けないで下さい…  もしもの事があれば、それこそ貴女のお母さんは死してなおさらに悔やむ事になります。」  最近こういう事を話す事が多いな……と内心思いながらザッフェはヒカル嬢に話し掛ける。  俺ってこういうキャラじゃなかったはずなのに…とも思いながら…  そしてヒカルはザッフェの言葉を聞きながら激しく思考を巡らせていた。母は涙を流してくれるだろうか。  兄と「同じ」軍人になった私を見てくれたのだろうか。…答えはNOだ。何時だって母は私を見ていなかったのだから。  それでも私が『光河』の人間である以上、あの人は私の母なのだ。『母』として尊敬し、敬うべき存在。…それ以上の感情は…。  いけない。これ以上はダメだと無理矢理思考を中断させる。  自分の中で卑屈と嫉妬と言ったモノが、心の奥底でドロドロと蠢き始める。表に出しちゃいけない。制御…しないと…。  その黒い部分を追い出すかのように小さく、しかし激しく頭を左右に振り、続いて深呼吸を何度も繰り返す。  そうしている内に段々と心が落ち着きを取り戻し、ゆっくりと何時もの自分に戻っていく。 「似たような話がLiFE内でも当然あってね…兄をスペシャルズに殺された青年なんだけど…  彼は復讐が目的でLiFEに加入した。だが戦場ではその感情が先走りして自身の命すら落としかねない状況に陥っていた…  ある事件をきっかけに考えを改めて以来、そういう事は無くなったんだけど…  そういえば彼は貴女と同じ日本人だったっけ…コウジか…」  ザッフェはこの時、A10基地で彼と膝を交えて話しした時の事を思い出していた… 4・兄 「似たような話…コウジ………コウジ?」  ザッフェの言葉の一箇所が彼女の胸に引っかかった。 『コウジ』  私の中で忘れられない名前。ゴソゴソとポケットの中を弄れば、其処には何時も忍ばせているお手玉がある。  何気なくそれをポケットから引き出し、手のひらに乗せ、それを軽く握り締める。 『コウジ』と名乗った男の子から…兄から貰ったお手玉。ザッフェが口にした『LiFEに居るコウジ』。  果たしてこれは等号で結ばれるのか?  もし彼が私の知っているコウジ兄さんだったら…殺し合いをしてきた事になる。  例えそれが無意識の、意図的なものじゃなかったとしても。 「その…『コウジ』さん…とは、一体どのような方…なのですか?」  ヒカルは震える口を隠そうともせずに、ザッフェを食い入るようにして見つめた。 「ん?コウジの事かい…彼は最近になってLiFEに加入したんだけどね…  フルネームはコウジ・ツキガセ。階級は准尉。年齢は…19か20だったかな…  申し訳無いが…プライベートに関する事はあまり多く知らないんだ…  これでも結構基地内では親しくしていたんだが…それでもこの程度なんだな…」  彼女の必死な顔を見、ザッフェは知っている限りの事を話そうとした。  が、改めて思い出すと意外とプライベートな事を知らない事に気付き、申し訳無さと自身の不覚に恥じ入るザッフェだった。 「……知り合いなのかい?同じ日本人なら、可能性が0とは言えないとはいえ…」  ここまで口に出して、ふと思い出す。その僅かな可能性を既にザッフェは体験していたから…  ロジャー・ウィルダネス……旧連邦軍に属し、今はスペシャルズに属する彼…。  ザッフェとロジャーは、ハイスクール時代に全米スポーツ大会で数度顔を会わせ会話をする仲であった。  出場種目がボクシングとアーチェリーという違いはあった。  しかし選抜州がアーカンソとテキサスで隣合った事もありそれなりの会話があった。 「まあ、そういう事もあるかもね。」  雰囲気を和らげようと彼女に微笑んでみせる。そして、 「そのコウジ君だけど……学校の同級生とか?よかったら話してくれないかな…貴女の知っているコウジ君について…」 「…私の知っているコウジさん……コウジ兄さんは…」  私が知っているのは……『コウジ』と言う名と、自分より年上だと言う事だけ。  10年近くも兄と慕っていた人の事を、私は何も知らないで居た。 「まだ帝国もスペシャルズも無かった頃…今から9年前です。  私の故郷の近くで縁日が……あ、小さなお祭みたいなものと考えて下さい。その縁日での事でした…」  私が9歳、次男が13歳の頃だ。病気がちな次兄がある日突然言い出したのが始まりだった。 『輝、この近くで縁日あるみたいだぜ。行って見ないか?』 「其処で『コウジ』と名乗る男の子と出会ったんです。  …最初は…初めて会った人だったから怖くて次兄の後に隠れていたんですが、  そんな私の姿を見てその男の子は…私に芸を見せてくれたんです」  人前で笑う事が出来なかった私に、小さな男の子は一生懸命になって私を笑わそうとしてくれた。  その光景が、何だかとてもつい先程のように感じられる。 「…お手玉……玉遊びの一種で、昔から日本に伝わる遊びなんです。  今は手元に一つしかありませんが…これを含めて5個、貰いました。  お返しに持っていた綾取りの紐をあげて…もっと気の利いた物を渡せば良かったと思っています」  苦笑しながら手の平をそっと広げ、ザッフェに見せる。其処には、所々縫製されて如何にも古臭い楕円形状の物があった。  当時は夕日のように奇麗な赤い色をしていたのだが、年月を重ねるうちに、それはくすんだ赤茶色にと変色していた。 「貰った事もそうですが、今日会ったばかりの人間に此処までしてくれたのが嬉しくて……。  それでその後一緒に縁日を楽しみました。やがて縁日も終わり、それぞれの帰路につく時の事です。  唐突にその男の子は私を誘ってある場所にと連れて行ってくれました」  場所は小川。せらせらと流れる水面に映っていたのは、幾つもの淡い光の輝き…蛍だった。  その光に魅了されていた幼い私をその場に残し、男の子と次男はある相談をしていた。 『…コウジさ、俺の代わりにヒカルの兄貴になってくれないかな?どう?』 『僕が兄さんに?いいよ!だけど、代わりになんて言っちゃ駄目だよ。  兄さんって『ほうきしちゃいけないせきにん』をもってるものなんだって。  自分より小さい子を大事にしないといけないんだよ!』 『………ッ…ハハハハハッ!まさか説教されるなんてな…。…妹を…ヒカルの事、宜しくな』 『うん!約束するよ。』  …勿論この事は当事者である彼女は知らない。彼女の兄と、縁日で知り合った男の子との約束。 「其処には辺り一面に蛍が飛んでいたんです。縁日もそうでしたが…蛍も初めて見たので…凄く奇麗だった…。  その時に男の子は『コウジ兄さん』になったんです。…コウジ兄さんは私の三番目の兄…  その時以来会っていませんが、今も無事に暮らしていると宜しいのですが…。  …これが私が知っている『コウジ兄さん』です」  この話では何も判らないだろう。何せ『コウジ』と言う名の男の子…9年も前の話なのだ。  9年も経てば子供は大人になる。成長していく過程で少なからず顔や姿は変わるだろう。  今までコウジ兄さんを探せ出せれなかったのは此処にある。  私の中では未だ『9歳の時のコウジ兄さん』の姿しかないのだ、成長した兄の姿なんて…。  それに、もしライフに居るコウジさんが…私が探していた兄だとしたら。私はそれが指す意味に耐え切れるだろうか?  …正直、判らない。ひんやりとした冷気が地面から這い上がってくる。  焚き火があってこれほど寒いのだから、今表は吹雪が襲ってきているのだろう。  チラリと視線を落とした先にあった腕時計の針は、もう直ぐ日付が変わる事を教えてくれていた。  ひんやりとした冷気が徐々にでは確実に勢力を拡大している中、ザッフェはヒカル嬢の話を聞いていた。 (わ…わからんな…これでは…)  ザッフェは内心うめいた…最初で最後の出会いが9年前では、手がかりも何もあったものではない。  唯一の物証と言えるお手玉と綾取りの紐の交換にしても、果たしてそんな小さな子供の時の事を覚えているか…  ザッフェが彼女に言ってやれる事は多くなかった… 「コウジという名前…そう多くはないと思う…だけどカラバにもコウジ・カブトというロボット乗りがいるから…  貴女の義理の兄であるコウジ君と今LiFEにいるコウジが同一人物である可能性は決して高くないと思う…  俺に出来る事は彼に今貴女が話してくれた事を覚えているかどうかを尋ねる事位しか出来ないだろうね…」  すまなさそうな顔をしてヒカル嬢に話し掛けるザッフェ。  正論だとヒカルは思った。たったこれだけの、しかも口約束でしかない『兄妹関係』。  いわば思い出の中の『兄』。思い出にするにはあまりにも鮮やかに脳裏に残っている『兄との思い出』。  ―忘れる事の出来ない記憶。  困り果てていたザッフェを見て、 「…いえ、お気になさらないで下さい」  と、それだけしか言葉を返えす事が出来なかった。話を聞いてくれただけでも由とするべきだ。  他の人に話しても、一笑の元に切り捨てられるだけの…話だから。 5.救援 「もっとも…生還出来ればの話だけれど…」  ヒカルの言葉に、今二人が直面している問題を口に出して答える。  温度計を持っていないので正確な温度は判らない。  だが口から立ち上る白い息とあまりの寒さに時折頭がぼーとする状態から、零下10〜15度程度には下がっていると判断した。  万全の装備と体調ならどうという事もない温度だが、今のザッフェには多少…いやかなり堪えると言えた。  そんなザッフェの状況はヒカルにも感じ取れた。  私は少しだけれども寒さに慣れているけど、ザッフェは怪我をなさっている。―このまま居たら彼の体が冷え切ってしまう。  その場で小さく一つ頷きゆっくりと立ち上がる。  そして膝の上にかかっていた毛布を手にしてザッフェの背面に回り、背中から毛布を掛けてあげた。 「…返されてもまた掛けに来ますから。使って…下さい」  ザッフェの右隣に腰を下ろしながら口を開く。此処なら、また返されても直ぐに毛布を掛けてあげる事が出来るだろう。 「話が変わるんだけど…貴女が定刻までに帰還出来ない場合…どのような扱いを受けるの?」  どうしてもたった一つ、聞ける状態のうちに聞いておかねばならない事を切り出す。 「俺は…予め天候が崩れる事を前提とした未確認機体調査だったから…  基地では雪に閉じ込められていると判断し、天候が回復次第救援が駆け付ける事になると思う。  その時貴女はどうします…仲間の手前、そしてこんな周辺に何もなく機体を失った貴女をここに残す事は出来ない…  誰か救援には来てくれる…またそれは本当に救援かい?  定刻までに帰投出来ない貴女を、好戦的な連中が裏切り者と勘違いして捕縛するとか…そんな事は無いかい?」  ザッフェはスペシャルズの内情に関して詳しい訳では無い。  ただV10基地に転属する前に体験したジャンヌと再会した事件から、平気で仲間を罠にかける連中の存在を知っていた。  今回の一件から同様な事が起こらないとも限らない…それを心配しての発言だった。 「質問の答えですが…今回は、自分に配備されたトーラスの試運転を兼ねた偵察任務でした。  ですのでこのような事態になった時に、私一人の為に救援に来る事は余り考えられません。  スペシャルズの人材は豊富で……また、その運営に資金を投資している者を重視しますから……  私のように平民上がりで…目立った戦果もない者には……」  ヒカルはザッフェの顔を見ながら返答する。  一応基地を離れるのだから小隊長には軽く話していたが、軍規を乱してまで一人の人間を助けに来てくれるのだろうか。  そんな事をしたらどうなるか…知らない訳は無い筈だ。  それにもう一つ。『もし今自分が持っている通信機でSOS信号を送ったら』。  この近くにLiFE基地があるのは明白だ。その基地に救援信号を傍受されたら?  救援に来たLiFE兵達に捕まるか、あるいは射殺されるかのどちらかだろう。  彼らにとってスペシャルズ兵士は『売国奴』、そんな人間を許せるのか?  LiFEに居る人間全てがそうだとは言えないけど、やはり自分の立ち位置は『憎まれる存在』なのだ。  …明るい未来を望む方が間違っている。…いっその事軍人なんて辞めてしまおうか。  平民としてひっそりと生きている方が分相応なのではないだろうか。  ……それでも、その選択肢を選ぶ事は出来ない。選んでしまったら、私は…また何かを失ってしまう…。 「…あまり楽観視出来る状況では…ありませんが、ザッフェ少尉は救援が来たら、その方々と合流して下さい。  私は…何とかして戻りますから…」  我ながら何と見え透いた嘘をついているのだろう、と辟易してしまう。 『何とかして戻れる』可能性なんて0だ。  でも…スペシャルズ以外に戻れる『家』が無い限りは、LiFEには行けない。進退窮まった末についた嘘。虚勢。  こんな時にさえ素直になれない自分を恨めしく思った。なら……いっそLiFEへ 5−1.深夜のスペシャルズ基地    深夜のスペシャルズ基地。格納庫に通ずる通路を一人の男が歩んでいる。  通りがかった女性の半数以上を確実に振り向かす事が出来る綺麗な顔立ちと無駄な肉を一切排除した体付き。  スペシャルズの中でも少しは名が知れているMSパイロット、ショウ・フラックその人である。  通路の突き当たりにある格納庫へ足を踏み出した瞬間、目の前に数人の人間が行く手を遮るように突っ立っているのに気づく。 (チッ…嫌な奴が…)  ショウは内心で毒づく。目の前の男は基地の副司令官…ジェラルド・フィットマンはそんなショウに言葉を放つ。 「ショウ・フラック一級特尉。こんな所で何をしている。今は持ち場にて待機中のはずではないのかね」  いつものショウであれば無視して自機に乗り込む事も選択していただろう。  だが、生憎基地司令官は所用で基地を離れており基地内の全権は副司令官である目の前の男に委ねられていた。  迂闊な行動は自身を不利な方向に追い込む事になりかねない。まして今は…  そう判断したショウは出来る限り手短に話を行う。 「私が率いる小隊の隊員が偵察に出掛けたまま予定帰還時間を過ぎても帰ってきておりません。  何らかの事故に遭遇したと思われますので、捜索及び救援を目的とした出撃を行うつもりです」  感情を押さえ、淡々と話す。 「貴官の隊員…ああヒカル・コウガ二級特尉の事かね。その事なら私の耳にも入ってきておる」 「それでは…」 「たかが小娘一人の為に基地内の規則を曲げるわけにはいかんな」  彼の横を通り過ぎて自機に向かったショウは再びその歩みを止め、信じられない言葉を発した男を睨みつける。 「聞こえなかったのかね、ショウ・フラック一級特尉。出撃は認められんと言ってるのだよ」  ショウの厳しい視線を軽く受け流すとジェラルドは事も無げに言葉を続ける。 「本部からの通達で、今夜よりこの北米大陸にある全てのスペシャルズ基地に待機命令が出されている。  特別な事情が無い限り、基地外への行動は行えない事になっておる。残念だったな」  下卑た笑いを口元に浮かべながら得意そうに話すジェラルドにショウは殺気すら覚えた。  だが、彼の廻りには常に6人の護衛兵が彼の身の回りを固めており、手出しをする事は出来ない。  また仮に事を成しえたとしても上官を殺せば反逆罪に問われるのは必至である以上、それは蛮行でしかなかった。 「だがな……わしが特別だと判断すれば、話は別だ。…どうかね?」  意味ありげな言葉をショウは即座に理解した。捜索に出たければ懇願しろとの言外の意味を… (くっ…この下衆が…)  握った拳が白くなるほどに力が入る。だが選択肢は無かった。 「ジェラルド副司令官殿……隊員捜索の為の出撃許可を頂きたい…」  ショウはジェラルドに真っ直ぐ向き直ると敬礼し、出撃許可を請う。しかしその目は鋭い眼差しだった。 「ほほう……わしはてっきり貴官には嫌われていると思っとったが…そう下出に出られてはのう…」  たるんだ顎の肉を右手で擦りつつ愉快そうに目前で敬礼しているショウを眺めるジェラルド。 「だが!その目つきは気にいらんの〜わしを睨み殺さんばかりの目で頼まれてもの〜」  そう言うと回りの兵に告げる。 「お前達、ショウ二級特尉殿は人に物を頼む時の作法を知らん様だ。教えて差し上げろ」  ジェラルドに言われると3人の兵士がショウの廻りを囲む。素早くショウの両腕と肩を押さえると廊下に跪かせようとする。  我を忘れ反射的に反撃に出ようとしたショウの身体を、予期せぬ方から飛び込んできた声が止める。 「ショウ!」  その場にいた全員が声を発した方向に振り向く。そこにはスレンダーな女性が一人立っていた。 「なにやってるのよ・・らしくないわよ?」  片手を腰に当てた姿勢でショウに呼びかける。アフィーネ・アーマライト二級特尉である。 「貴様、そんな所で何をしている!待機中のはずだぞ、持ち場に戻れ!」  取り巻きの兵士の一人が声を荒げる。 「物音が聞こえましたので、侵入者かと勘違いしました。持ち場に戻ります」  手早く敬礼を済ませると、彼女はその場から素早く姿を消した。 (まったく世話の焼けるんだから・・・後は上手くやってね・・・)   彼女が立ち去るのを見届けたショウは、先ほどの姿勢である廊下に跪いた状態でそのままジェラルドに頭を下げる。 「この通り…出撃許可を頂きたい…」 (アフィーネの好意を無駄にする訳にいかないし…何が最重要課題かを考えれば、この程度は何てこと無かったんだ…)  頭を下げて懇願するショウを見て一応の満足を見たジェラルド。 「ふ…まあよかろう。但しあと数時間待て。日の出と同時に出撃する事を許可する。  深夜の飛行が危険なのはむしろ貴官の方が判っているだろう。」  そう言い放つと護衛の兵を率いてジェラルドはその場を後にする。その後姿を悟られる事無く冷ややかな視線で見送るショウ。 (今は…見逃してやるが…)  内心でそう呟くと、ショウはその場を後にした。 5−2.深夜のLiFE基地 「どうして捜索に出ちゃいけないのさ!」  ひときわ大きな声でLiFEのV10基地司令官であるジム中佐に詰め寄るのはサラ・ハーミルトン。ザッフェの恋人である。 「自分が何を言っているのか判っているのかね、サラ少尉?」  司令室の椅子に深く腰掛けたジムは動じる事無く冷静に答える。 「この吹雪の中、のこのこMSで出掛けていっても二重遭難するだけだ。それが判断出来ない訳ではあるまい?」 「だからって何もせずにじっとしてるのはあたいの性に合わないんだよ!」  怒りの形相で話していたサラはジムに背を向けると部屋から出て行くように歩き始める。 「何処に行く?まだ話は終わってはいないぞ」 「山に行って来る……こんな事をしている間にも何かが起こってるかもしれない…」  部屋のドア付近には同じ小隊メンバーであるキョウカ・アオツキ少尉が壁にもたれ掛かるようにして話を聞いていた。 「サラ…」 「止めても無駄だよ。あたいは一人でも行ってくるから…」  キョウカは壁から身を起こすとゆっくりサラに近付く。 「判ってる。貴女は言っても聞かないでしょうからね………だから!」  キョウカは素早く左手の平をサラの目の前に翳す。その手の動きにサラに気が取られた隙に右手を腹に叩き込む。 「な…にを…」 「身体で止めるだけよ…」  虚を突かれた形で殴られたサラはなすすべも無くその場に崩れ落ちる。  それを受け止め、同じく傍で成り行きを見守っていたフェイヒカイト・クロイツファルト少尉も呼んで二人でサラを肩に担ぐ。 「司令……気候が回復する明朝日の出と同時に捜索活動を開始致します。よろしいですね?」  丁度ジム司令官と背を向けた状態でキョウカは明日の行動予定の確認を行う。 「ああ、そうしてくれ。しかし君達の機体では現地到着に時間がかかるだろう。そこでだ……シッド少尉」 「あ…はい?」  唐突に名前を呼ばれたシッド・リッド少尉は反射的に返事をすると司令の元に駆け寄る。  ジムは手元に置いてあった数冊の書類の束と一枚のディスクをシッドに渡す。 「これらは可変型試作MS「メタス」の操縦に関する書類とデータだ。今晩中に動かせるようにしておきたまえ。  明朝の捜索にはこいつを使うとよかろう。訓練不足は火を見るより明らかだが、空が飛べる方が便利だろうて。  機体の整備は先ほど終えたばかりだ。あとは…君達の頑張り次第だ…」 「は、はい。了解であります」  ぎこちなく敬礼すると両手でしっかりと書類を握り締める。 「司令…ありがとうございます」  キョウカがサラをフェイに託すと、振り返り敬礼する。 「礼は…ザッフェを無事連れ戻してからでいい。仕事を済ませた後でな…」  腰掛けていた椅子を180度回転させ彼女達に背を向けると再び呟く。 「そう、仕事を済ませた後でな…」   5−3.救援 「無理だね」  ザッフェはヒカルが再び掛けてくれた毛布をぎゅっと片手で掴みながら、彼女の顔を見つめてきっぱりと断言する。 「この辺りには、ほんとうに何も無いんだ。確かに日が昇れば天候も緩みMSとかでなら行動も起こせるだろう。  でも土地勘も冬山装備も無い女の子が、たった一人でどうこう出来る状況じゃ無い。  貴女はさっき、言ったよね。スペシャルズには大事な人が沢山いるんだって。第二の家なんだって…  それなのに誰も救援に来てくれないなんて本気で思っているのか?  その程度にしか相手を信じていないなんて…それは、その大事な人達に失礼だ…」  今までとは口調も表情も怒ったような感じに変えて彼女に話す。  もちろん本当に怒っている訳では無い…彼女の本音の部分が知りたいだけである。  本当に救援の手が差し伸べられなければ、首に縄つけてでも一時的に保護する必要性がある。  もちろんそれは彼女の望まないである事は百も承知であったが、最悪の結果を引き起こすよりは数段ましに思えたから…  だからこそ彼女の本音を、事実を聞き出すために語彙を荒げてみる。 「貴女の危機に手を差し伸べてくれないような組織なら…仲間なら…もう必要無いだろう。  それならスペシャルズに拘る事もない。それならいっそ…LiFEに来ないか?…エマ・シーン中尉の様に…」  つい最近、スペシャルズからLiFEへと加わったエマ中尉の事を例に出す。  実はザッフェは3年前の戦いで彼女に危ういところで一命を救ってもらった個人的恩があった。  それだけに彼女のLiFE加入の話は彼を喜ばせ、よく記憶に残っていたのである。  ザッフェは身を乗り出すように、そして覗き込むようにヒカル嬢に訴えかける。 「俺は貴女に助けてもらった借りがある。これを返さない事には私の気がすまない。  ……助かる当てが無い貴女を放って置くことは…出来ないよ!」  ザッフェの声が洞窟内に反響していた・・    此方を覗き見てくるザッフェを見つめ返し、表情を和らげて返答する。 「…そうですね、今の私の発言は…私を信じてくれる人に対して失礼にあたりますね。  …きっと来てくれる……そんな予感がするんです。私に…そんな価値なんてないのに…。  ですから私は此処に残ります。来てくれる事を信じて、此処に残ります」  困ったように苦笑して、続いて毅然とした瞳を彼に向けて言葉を締め括る。  ”予感”等と他の人にしてみれば極めて曖昧で不確かな事を、彼女は信じて此処に残ると言い切った。  独りよがりな、思いの押し付けとも取られかねない…自分の思いを初対面の人間に吐露した。 「…何の確証も…保証もありませんが……此処に残りたいんです。  ……もう一度繰り返します、ザッフェ少尉…貴方は救助隊が来たらその方達と合流して下さい。  仮にもLiFEとスペシャルズの兵士ですからね、一緒に居る所を見られては…何かと不都合があると思いますし…」  漸く他人に見せ始めた本心。その顔には絶望も諦めも無く、あるのは晴れ晴れとした顔だった。 「ははは……やっぱり居るんじゃないか…それならそうと最初から言ってくれれば良かったのに…」  ザッフェは表情を和らげてヒカルに話す。  実際に救助なり何なりが行われる事と信頼出来る人が居る事は必ずしもイコールでは無い。  しかし今はこれ以上問わない事とした。その時がきた時に対処すればいい…そう判断する。 「貴女の言うとおり、両軍の兵士が何もなく一箇所に居るのはおかしな事だと思う…状況とはいえね」  彼女の、此処に残る発言に対し答えにならない答えでお茶を濁す。 6.ショウ 「ところで…ルクスの事は知っていたようだったけど…それじゃメイリーンも一緒に?  …他に旧連邦に所属していたメンバーは他に誰が?貴女が親しくしている人にも旧連邦のメンバーが?」  LiFEに所属してから、数人のメンバーがスペシャルズに加わったのは知っている。  誰か知っている名前が出てくるのか…少し楽しみにして彼女に尋ねる。その口調は心なしか軽かった。 「ええ…メイリーン特尉にロバート特尉、ジャンヌ特尉、カイゼル特尉…に、アフィーネとショウ…小隊長…」  思わず敬称をつけずに呼びそうになってしまった名前を慌てて訂正したが、これではかえって目立ってしまう事に気付く。 「私が知っている中では今あげた方達…でしょうか。  他にも旧連邦軍に在籍していた方はいらっしゃると思いますが、生憎とそれほど親しくお付き合いさせて頂いておりませんので…。  …お知りあいの方がスペシャルズにいらっしゃるのですか?」  自分の犯したミスを隠そうとすればするほど、必要以上に饒舌になる。……私が嘘をつけれない理由は此処にある。  他にも直ぐに顔に出てしまうのもあるが、大体は何時もと違う自分の様子に相手が不審がって深く尋ねて、  結果下手な嘘がばれるというパターンが殆どだ。 「他にも沢山いらっしゃいますが…皆さんに出会えたお陰で、今の私が有るようなものです。  そう言った意味では……私を変えてくれた、感謝するべき方々ですね」  ザッフェに疑問の声を挟まれないようにと矢継ぎ早に言葉を繰り出し、一人で勝手にこの話題を締め括ろうとしていた。  急に饒舌になった彼女を特に怪しむ事も無く、出てくる名前をザッフェは黙って聞いていた。そして、口を開く。 「感謝すべき人々か……そうだね。その気持ちは大事な事だよ」  彼女の言葉に相槌を打つ。そして、 「知り合いだった…と言うべきかな。3年前の戦いで共に戦った仲間…だっただけだよ」  と、彼女の質問に答える。脳裏には3年前の出来事が浮かんでは消えていた。 「激しく、あっという間の事だったけど…それだけに深く付き合えたと思う。  その一人がジャンヌだった…私もジャンヌとは結構仲が良かった…つもりだ。  彼女には人を引きつけて止まない魅力があるんだな…外見以外の魅力がね。  それにしても……アフィーネとショウは階級無しで呼ぶんだ。この二人は別格って事かな…」  少し意地悪な笑みを浮かべてヒカルを見るザッフェ。 「アフィーネは最初の友達…親友で、小隊長には…色々お世話になっていますから…」  ザッフェの笑みを見て、恥ずかしげに顔をそらす。気付かれてしまったのだろうか、私の気持ちを。  少しだけ胸元を押さえながら数度深呼吸を繰り返し、ゆっりと視線を少尉にと戻していく。 「…そうですね、ジャンヌ特尉には不思議な魅力が備わって…いるのでしょうね。  お優しい方で……時々姉だったら良かったな…って思う事があるんです。…可笑しいですよね」  クスクスと口元を隠しながら笑みを零す。しかし言葉に嘘は無い。 「でもまあ…小隊長を階級無しで呼ぶのも普通だし…それでもより親しい事に変わりはないか…  そして安心した。彼なら…部下を、親しい人間を放っておくことはしないだろう…私の知っている彼ならばね…」  意味ありげに呟くと、彼女を見る。もっと聞きたい?と問うように… 「…あの、3年前の小隊長って…どんな方だったんですか?」  私の知っている小隊長と、ザッフェ少尉が知っている小隊長。  『3年前』  長いとも短いとも取れるこの時間の中に居た小隊長はどんな人だったんだろう。  はやる気持ちを押さえながらも、興味深けな視線で見つめ返した。 「そうだね…隊内では目立つ存在だったと思うよ…」  ヒカル嬢が聞き返した、3年前のショウ・フラックの事を思い出しつつ話出す。 「MSパイロットとしては…隊内ではまあ中の上か上の下ってとこだったけど…  あのベビーフェイスと桁外れな身体能力はよく覚えてるよ。格闘戦能力では隊内でも彼に勝てるのはいなかったと思う…  あまり人と交わる事は得意では無かったと思う…俺もほとんど彼とは話をした事は無かったしね」  少し首を傾けて彼女を見ながら話す。考え事をしながら話す時のザッフェの癖である。  そしてヒカル嬢の目がこれまでになく生き生きしている事に気付く。 「彼の人柄を語る事件が一つあってね…3年前の戦いで…  事実上旧連邦での最後の戦いとなった地表攻撃衛星の破壊作戦後、未帰還機が続出したんだ。  この時、ジャンヌ号令の元に自主的な捜索隊が組織されて数人のメンバーを助け出す事が出来た。  まあ、俺も参加したしロジャーが煩雑な事務を行ってくれた事は余談として…」  話の内容がシリアスだけに、無駄と思いつつも軽い戯言を交えるザッフェ。 「この作戦でショウは撃墜されて味方に拾われて帰還していた。  ところが、ある人物が未帰還…行方不明になっている事を知ると自身の怪我を押してまで捜索活動に加わった。  その後、ショウは帰ってこなかった…識別信号が途中で途絶えた事から敵と遭遇し再度撃墜されたと判断されたよ」  ザッフェは視線を彼女から外し、赤々と燃え盛る炎を見つめる。 「それから3年…ジャングルの中で再びショウと遭遇するまでは彼が生きているのか死んでいるのかさえ判らなかった…  昔の仲間が生きていた事自体は朗報だったけど、殺し合いをする事になるとは思わなかったよ…  ただ…あの時ショウが探しに行った彼女が見つかったかどうかは未だに知らない……  でもまあ、彼はそういう男だ。いざとなれば自身の事も顧みずに助けに行く事も出来る…」 (最も…あれは彼女だったからなんだろうけどな…)  最後の言葉はあえて口に出さずに飲み込むザッフェだった。  傷。  あの時私が目にした小隊長の腕に残されていた幼い頃の傷と、3年前に新たに負った傷。  今後嫌でも負ってしまうだろう傷痕。3年前。…3年間。  その頃に起こった出来事を説明して下さっているザッフェの話に耳を傾けていた。 「…自分の事を顧みずに…ですか…。3年前から変わっていないのですね」  誰かを思いやり、誰かを失う悲しみを、誰かの痛みを自分のように感じてしまう人。  ―あの時、休憩室で見た小隊長の瞳の中に見えたモノ、感じた事。  大事な何かを失いたくないから、代わりに自分が傷つく事を躊躇無く選んでしまう…。  優しすぎる人だから…傍に居て支えたいと思った…人。だけど、そんな気持ちは抱いてはいけないと現実を突きつけられた。  ザッフェが口にした『彼女』。  そのたった一つの単語に、何かがガラガラと音を立てて崩れ去っていく…そんな錯覚に襲われた。 「…………そう…だったんですか…」  漸くその一言だけを口にして、貝のように口を固く真一文字に閉ざす。身の危険を冒してまで救出に向かった…女性。  その女性を助けようと怪我を物ともせずに捜索に出かけた小隊長。  普段の言葉が少ないだけに、行動で己を示す事が多い……ショウ。  この事から導き出される結論は、自分にとってはあまりにも辛い現実だった。  例えそれが自身で思い描いた勝手な想像だとしても。 (…私のこの思いは…間違い…?相手の方の思いを無視して自分の思いを押し付ける…なんて…只の傲慢じゃない…。  ………私は…取り返しのつかない間違いを犯してしまったの…?)  数分とも数十分とも取れる沈黙を破った…が、ぼそぼそと蚊の鳴くような声で呟き始めた。 「…そう…ですよね…。小隊長は…小隊長なら、そう言った行動を取ってもなんら不思議ではありません…。  ……その女性の方…無事だと宜しいのですが……」  チクリと胸が軋む。しかし会話を止めるわけには行かない。  外は猛吹雪。今此処で口を止めてしまえば、次に襲ってくるのは睡魔だ。  本音を言えば、これ以上は聞きたくない。  きっと、聞けば聞くほど自分が如何に我侭で押し付けがましい人間だという事が判ってしまうだろうから。  …やはり自分は都合の良い人間だ。聞きたくない情報はシャットダウンし、傷つかないようにしているのがありありと判る。  それでも此処で死ぬのは嫌だった。自分で『傍に居る』と告げたのだ、自分で決めた事は最後まで守りたい。  直ぐ傍に居られなくてもいい、ホンの少しだけでも支える事が出来るなら。  此処で倒れてはその想いすらも遂げられずに幕締めになる。  だから喋らないと。睡魔に負けないように口を動かし続けなくては…と、しかし浮かない表情で次を促す言葉を口にしていた。 (ん…変わったな…)  ザッフェはヒカル嬢の雰囲気が大きく変わった事に気付く。  先ほどまで生き生きとした瞳の輝きは失せ、失望の色が濃く浮かんでいるが判った。 (ショウが来てくれる可能性が高い事を聞けば喜ぶかと思ったけど…これは…なるほど、そういう事かな…)  一人考え、ある結論に達するザッフェ。 「もし生きていれば、当然貴女と同様に彼女もショウと同じ小隊に属していると思ったんだけど…  居ないの?彼女の名前は…レミリア……そう、レミリア・カイスラム」  自身が立てた仮説が正しい事を確認する為に、彼女から更に話を聞きだそうとするザッフェ。 「……多分ショウが一番親しかった女性…だったはず。特別な関係だったかどうかは知らないけどね」 「…レミリアさん…ですか…?いえ…小隊内にはいらっしゃいませんが…」  ザッフェの問いかけにヒカルが力無く答える。 『レミリア・カイスラム』  一度…二度ばかり名前を見た事があるが、どのような方かは全く知らない。話した事も無いのだから当然か。  その女性が小隊長と一番親しかった女性。レミリアさんを助ける為なら、どんな無茶でも出来る小隊長。  …。  そっか、そうだったんだ。私…横恋慕していたんだ。向けられる優しさを勘違いしていたんだ。  馬鹿みたい。一人で勝手に舞い上がって…馬鹿みたい。 「…お話…ありがとう御座いました…。やはり人と話すのは大事な事ですね。  自分一人じゃ如何しても判らない事も…知る事が出来ます…から…」  覇気の無い声色で話を締め括り、隣に座るザッフェに小さく頭を下げるヒカル。  話を聞けて良かったと思った事は3つ。  1つは「真実を知る事が出来た」  1つは「尊敬は尊敬のままの方が良い」  1つは「やっぱり自分は馬鹿」  両膝を抱え込むように座るべく体勢を変えながらも、自分を苛む考えは止まらない。  基地に戻る事が出来たら小隊から離れよう。少し小隊長から距離を離し、ちゃんと自分の気持ちとけりをつけよう。  でもショウの傍に居たい。あの人の役に立ちたい、支えたい。でも…ショウには…レミリアさんが居る…。 「……如何したら良いんだろう……」  蚊の鳴くような小さな声で、思わず心境を吐露していた。 「……好きなんだね。ショウが……」  膝を抱えてうずくまるヒカル嬢に話し掛ける。  レミリアの存在を口に出してからの彼女の反応を見れば、詳しい事情は知らなくても見当は付く。  まして、そう予測しての先ほどの問いかけだっただけに… 「レミリアがもし生きていれば、十中八九ショウと行動を共にしていると考えるのが普通だ。  それが、同じ小隊員である貴女がレミリアの事を知らないって事は…」  そこから先は言葉に出さない。そして続ける。 「ここから先は彼自身に直接聞くべきだね。私が知っているのは3年前の彼であって、今の彼ではない。  まさに今、貴女が言った通りだよ。話さなければ何も判らない。彼が好きなのなら尚更だ」  落ち込んだ様に膝を抱えたまま動かない彼女に何が出来るだろうか…ザッフェはしばし考える。 「……一度好きになった彼を忘れたりする事は出来ないだろう、このままじゃね…  いずれにしてもはっきりさせる事だ。それには話をするしかない。…それと、自分の気持ちを伝えた事はあるのかい?」  結局、彼に出来る事は話し続ける事しかなかった… 「自分の…気持ち…?」  少しだけ顔を押し上げて、焚き火の灯りを見つめる。気持ち……伝えた事は無い。  ずっと遠くの人物で、ずっと尊敬している人物で…全然自分とは違う人。  私なんて足手纏いで役立たずで、小隊員になれたのが不思議なぐらいだ。  只でさえ迷惑をかけっぱなしなのだ、これ以上自分の事でわずらわしい思いをさせたくない。 「…伝えていません…。余計な事はしたくありませんから…」  それについさっき決めたじゃないか。 『小隊長から距離を離そう』と。  そう簡単に忘れられるとは思えないけど、それでも…忘れなきゃ…。だって小隊長には…親しい女性がいる…から…。 「………もう…良いんです…。私がこの気持ちを忘れさえすれば良いだけの事です。  そうすれば…何も変わらなくて済む…今までどおりになる…」 「忘れられるの…その程度の思いならそれでもいいかもしれない…」  ヒカル嬢の言葉に方眉をピクンと跳ね上げて言葉を返す。 「助けて貰った恩もあるので、お節介承知で言うよ…」  少し離れたところに横たわっているクマを横目でちらっと見て言葉を繋げる。 「余計な事とか、何も変えずに済むとか・・そういう考え方は良くない。  今までの話を聞いていて、貴女の大体の性格はわかった。引っ込み思案で…よく言えば奥ゆかしいが、悪く言えば意気地が無い。  その性格のせいかもしれないけど…何故忘れないといけない?人を好きになる事自体は少しも悪い事ではないよ?  まして今回のケース、レミリアはもうショウの傍には居ない。  何故居ないか…退役したのか、死亡したのかは彼に聞かないと判らない。  だったら聞けばいい。何もせずに勝手に一人で納得して諦めてしまう。  それは…少し手を伸ばせば手に入る果実すらも見過ごす事になるんだ」  ここまで一気に話すと、手元の時計に視線を落とす。間もなく日の出が訪れる時間をその針は示していた。 「何か行動を起こすことは、同時にリスク発生を意味する。  その行動が空振りに終わった時の落胆は、何もしなかった時よりも大きいだろう。  期待が大きいだけ失望もまた大きいのはよく判る。でも…それを乗り越えて欲しい。  そうじゃないと…貴女は貴女自身を好きになれないよ、きっと…  そして、自分すら好きになれない自分を他の人が好きになってくれる事は無い。  今の貴女の自信の無さは、自身の嫌悪から生じていると思う。そしてそれを何処かで断ち切るべきだ…」  ザッフェは思った。どうして会って間もない女性にこれだけ熱心に語りかけているのだろうと…  人と話す事自体は嫌いでは無い筈だが、敵陣営の兵士相手に真剣に話をしている自分にある意味驚きすら感じていた。  10人が10の幸せを得ようとすれば、必ず何処かで歪みが生じる。  それならば1人がその歪みを吸収すれば良い。1人が我慢をすれば、9人は幸せになれるのだ。  だから自分が我慢をすれば良い。  今までの出来事を全てデリートして、何も変わらない生活を送れば良い。そうすれば、他の人は幸せになれる…。 「………忘れたくなんて…無い…」  じゃあその1人は、永遠と外れクジを引かされねばならないのか。その1人は、如何足掻いても幸せにはなれないのか。 「…好きになれる人が出来たのに…直ぐ近くに居るのに……諦めたく無い…」  必要なのは勇気。恐れず足を踏み出す強い気持ち。  でも怖い。拒絶されたらと思うと、如何しても口を噤んでしまう。  …ザッフェの言は其処に自身の意見を投入する事で、ヒカルの思考の流れを変えた。 「…………自分自身を好きに…?」  今まで自分を好きになった事は無い。何時も何処かで己の取った行動を嫌悪し、後悔していた。 『あの時こうしていれば』『ああしていれば良かった』…等。  後で後悔するしか出来ない自分が嫌で、如何にかしてそんな自分から別れを告げたいと思っていたが、結果はこれだ。  己の心情を吐露する事で、他の誰かが僅かでも不快な思いを抱いてしまうのなら、いっそ喋らなければいい。  私は、『私』の後ろ向きな部分とだけ一緒に過ごせばいい。…ずっとそう思っていた。  でも、漸く。漸く逢う事が出来たのだ。本心を曝け出す事が出来る相手に。  今の自分の姿を見てその人が離れてしまうのなら…自分は変わるべきなんだ。自分自身の為に。 「……ありがとう…御座います…。本当に。私…早く私を好きになって、勇気の一歩を踏み出して…踏み出します」  相手にとっては、日が明けるまでの暇つぶしだったのかもしれない。  それでも、結果的にはヒカルの悩み事に親身になって答えてくれたザッフェ。  初対面の人間相手に此処まで相談に乗ってくれた少尉の優しさと、  初めて会った人にこれほどまで話をする事が出来た自分の姿に、知らず目尻に涙が浮かんでいた。 「やだ…涙…。変…ですよね、嬉しいのに泣くなんて…。少々お待ち下さい…直ぐ止めますから…」  苦笑を浮かべながらしきりに両目を擦り涙を拭い去っていくが、次から次にと量産される雫の量に対処しきれなくなっていった。 「おいおい…泣かないでくれ…女性の涙は得意じゃない」  横に座るヒカル嬢の両目から涙がぽろぽろとこぼれ落ちるのを見て、困ったような顔をする。 「だけどまあ…悲しい涙じゃないから…いいよね?雪山の雪を溶かすように、頑なな心を溶かす熱い涙か…」  そう呟くと、ザッフェは左手でポケットを探りハンカチを出す。  今日一日の行動を振り返りまだ未使用であることを頭の中で再確認すると、彼女にハンカチを手渡す。 「これ、使ってくれ。まだ使ってないから洗濯したまんまの綺麗なはずだ。それと…泣く事はそう悪い事じゃない。  乾ききった大地に雨が降る如く、心に涙が染み込んで柔軟な心を取り戻す事が出来る…  今の貴女には必要な事なのだろうな…きっと」  そう話すと彼女が落ち着くのをしばし待つ。 「さて…日も昇り始めたようだ…事前の予報ではもうIce Stormも通り過ぎたはずだ。  おそらく俺の所属する基地から捜索隊が出動したはず…見つかりやすいところに移動しておこう…」  涙を堪えている彼女をあえて見ずに、今後の行動についての話を始める。 「俺のリック・ディアスを置いてある所…あそこなら見つけやすいし、こちらから位置を知らせる事も容易だろう。  そして…貴女の救援が間に合わない事も考えられるので、最悪貴女にはそのリックを使って基地への帰還を行ってもらう。  俺を助けて貰った以上、基地まで無事に戻ってもらわないとな」  ここまで話したあと、ハンカチで瞳を押さえていたヒカルを見てザッフェは心配無用と笑って見せた。 7.それぞれの帰還  ヒカルに肩を借りて捻挫した左足を庇うようにして洞窟内をヒカルの案内で進んでいく。  ようやく洞窟の入り口まで辿り着きそこから見えた光景は…一面の銀世界だった。  昨夜の雪は辺り一面をすっぽり覆い、その地形すら変えて見せた。これでは元の道を探すのも困難に思えた。 「ザッフェ少尉…これでは…」  ヒカルがザッフェの方に向き呟く。その口元からは白い息。 「ああ…下手に動くと俺の二の舞だ…かと言ってここにいると発見するのも困難だろうな…」  目も眩みそうな真っ白な雪を前にザッフェは考えていた。  取れる手段は限られており、しかもそれは互いにリスクを抱える手段しか無かった。 「ヒカル君…俺を信じられるか…さっき洞窟内で俺が言った言葉…貴女を原隊に返すと言った言葉を信じられるか?」  真剣な眼差しでザッフェも彼女を見る。彼女の覚悟を…そして自分への覚悟を確認するように。 「…はい…少尉の人柄は十分見せて…頂きました。信じます……」  力強く答えるヒカル。その瞳には迷いは無かった。 「よしわかった…何簡単な事だ。無線機で呼びかけるだけだ…俺の仲間は間違い無く救援に来てくれるはずだから…  彼らにこの位置を知らせる。少なくとも俺のリックが置いてあるところまで歩くよりは安全だ…  そして…これはLiFE側だけじゃない…スペシャルズ側も捜索を行っていればこの信号を受信する事になる…  両軍の捜索隊が鉢合わせする可能性も高いが…これは俺たちが何もしなくても起こる事も考えられるからな…」  そう話すとザッフェは腰にぶら下げていた小型の無線機のスイッチを入れ、所在を示すコールを特定に周波数に乗せて発信する。 「さて…どちらが先に来てくれるかな…」  昨夜の吹雪が嘘の様に晴れ渡った青い空を見上げるとザッフェは白い息と共に答える人のいない疑問を発した。  ピーピーピー……  LiFEの基地から飛び立った3機の飛行機らしき機体のコックピットでそのコールは受信された。 「キョウカ…信号を受信。このパターンは…ザッフェだよ」  サラは別の機体…シッド操縦する機体に同乗しているキョウカに連絡する。 「ああこちらでも受信した。今発信源を確認している…最終確認位置とは少しずれているけど…まあ近いよ」 「それにしても…空飛べる機体はいいね〜これならあっと言う間に到着出来るわね」  もう一機を駆るフェイが無線に割り込む。  彼女達が乗機しているこの3機の機体……まだ実戦に投入されていない可変タイプのMS『メタス』である。  アナハイム社から事前テスト用にV10基地に輸送されたばかりで、かろうじて試運転が終了した程度の機体。  今回の救出では時間が最優先される事から、ジム司令官より昨夜遅くになって使用が許可されたのである。  その為に本来必要な機種転換訓練の時間すら取れていない。  ただ救いなのは、サラ、フェイ、キョウカは旧連邦軍時代にコアブースター等戦闘機にかなり長く乗っていた事である。  それも手伝って、いざ乗り込んでみれば体が覚えており動かす事は比較的容易に行えた…一人の例外を除いては。 「確かに早いっすけど……機体の足が地に付いてのは何か頼りないです」  冷や汗を流しながら操縦桿を握るシッドが頼りなげに返答する。 「腕に力入りすぎ。そんなに強く握るから機体が必要以上に反応して安定しないのよ。もっと優しく…そう」  その慣れてないシッドを指導する目的も有りキョウカが一緒の機体に乗り込み、指揮も取っているのである。 「さあ、もう目前よ。各機機体の高度を下げて…それと敵機への警戒を怠らないように」 「了解」  キョウカの指示に3人が同時に答え、3機のメタスは密集隊形のまま高度を落としていった。 「コール受信……これはゲリラ側で使用されている周波数帯か…」  エアリーズに搭乗したショウもまた、ザッフェのコールを受信していた。  彼の本来の機体であるノウルーズβは空を飛ぶ事が出来ない。その為に誰も使用していない飛行型MSを勝手に拝借していた。  しかもこの機体は偵察用機体であり、航続距離と最高速はノーマルのエアリーズを優るものの戦闘力は格段に落ちる。  しかし時間が惜しい事から少しでもスピードの早い機体をチョイスしたのである。 「オペレーターの計算してくれた位置とほぼ一致する…という事はヒカルの傍にゲリラの兵士が存在するのか…」  これはショウにとって楽観出来ない事を意味した。  この状態はヒカルは既にLiFEに捕えられていると解釈するのが素直であり、それはショウを更なる戦いへと導く事を意味する。 「…先ずは正しい状況を入手すべきか…待っていろヒカル」  機体の高度を出来うる限り下げると、少しスピードを落としてあらゆる状況に対処出来る様にしつつ前進した。  時間にしてほんの10秒ほどだっただろうか。ザッフェはコールを送信した後無線機の電源を落とす。 「これでしばらく待とう。今のコールを受信していれば発信元である此処を割り出すのも容易な事だろう……」  無言のまま空を見上げるザッフェとヒカル。ふとある事を思い出したザッフェはヒカルを見る。 「コウジの事で一つ言い忘れていた事があった…アフィーネはコウジと接触している。  もしアフィーネに絵心でもあれば似顔絵程度は書いてくれるかもしれない…昔の面影でも残っていれば、何かわかるかもな」  ここまで話したところで甲高い金属音が耳に飛び込んできた。 「何か来た……って何だあれは?」  上空の見知らぬ3機の銀色の機体を見てザッフェは驚く。  1機はそのまま上空で旋回を繰り返したが、残り2機は急降下すると地面直前でMSに変形して着地する。 (しまった…スペシャルズ側の救援が先に来たか…)  そう思いヒカルを見ると、ヒカルも警戒した顔でザッフェを見ていた。 「少尉……あの機体はLiFEの機体ですか?私には見覚えが無い機体なのですが……」 「いや…俺はてっきりスペシャルズの機体だと思ったんだけど……」  二人して見つめているとMSのハッチが開き、中から人が飛び出してきた。 「ザッフェ!!」  サラが地面に着地すると同時に銃を両手で構えて叫ぶ。もう一機のMSも同様にハッチを開きその位置からキョウカが銃を構える。 「サラ、待ってくれ。危険は無い!キョウカもだ。銃は下ろしてくれ!」  LiFE兵士とスペシャルズ兵士が争う事無く一所に存在する。  これは一方がもう一方に捕らわれているを意味する…普通なら。それ故彼女達の行動は極当然と言えた。 「彼女は……このスペシャルズの兵士は俺を助けてくれた。問題は無い!」  銃を構えたまま歩み寄ってきたサラは困惑する。 「えっ?それは一体…」  口を開きかけたところに、上空で警戒していたフェイから連絡を受けたキョウカが大声で叫ぶ。 「正体不明機が一機こちらに接近している!今、戦闘に入るのは避けたいんだ。サラ、隊長を回収して速やかに離脱する!」  その声はザッフェ達の耳にも届いた。 「ヒカル君……どうやら君のお迎えも来てくれたようだ。今度は戦場で会うかもしれないが…それまでは元気で」  我ながらおかしな挨拶だと思うが、他に言い様も無く苦笑まじりだった。 「…おかしいですね…私と少尉、個人的には戦う理由なんて…何も無い筈なのに……それでも戦場で鉢合わせすれば……」 「そうだ、戦うしかない…己の信じた旗印の為に…それが戦争の最大の罪だよ。…それじゃあ、またな」  ザッフェの言葉を信じたサラは銃をホルスターに収めると二人の元に近付き、ヒカルが支えていたザッフェを新たに支える。  無言のまま一連の作業を行い、ザッフェを片方の肩で支えつつメタスに戻るサラ。  二三歩歩んだところで一旦その歩みを止め、ヒカルに背を向けたまま話す。 「ザッフェが世話になったようだね。とりあえず礼は言っとく。ありがとよ」  そして再び機体へと歩みを進める。後ろではサラの言葉に答える様にヒカルが軽く頭を下げていた。  どうにかザッフェをコックピットに収めると、サラは機体を動かすチェックを行う。 「サラ…俺のリックは…」 「大丈夫。あの辺りは風の関係で一際雪が集まったらしく、完全に埋まってたよ。あれなら見付からない」 「そうか…それなら安心だな…」  チェックを終えたサラはキョウカに連絡を入れる。 「キョウカ、準備終了。とっととずらかるよ」  言うや否や、その場で軽くホバリングすると飛行形態に変形し上空へと舞い上がる。  キョウカが乗っているシッド機もそれに続く。上空で待機していたフェイ機と合流すると一目散に山を後にする。  3機のメタスが飛び立っていくのを見送った僅か5分後、一機のMSがヒカルの前に静かに降りた。  エアリーズである。誰の機体だろうと見つめていると、コックピットのハッチが開き一人の男が姿を見せる。 「ショウ!!」 「ヒカル……無事だったか……先ほど3機の機体がここから離脱していくのを確認したが……あれは?」 「私と一緒にいたLiFEの兵士を仲間が救援に来たの。…交戦したく無いと言って離脱して行ったわ……」 「そうか……それはこちらにしても好都合だった…なんせあの機体は偵察用エアリーズでろくな武装が無いからな…」  ショウは自分が乗ってきた機体に振り向くとそう呟く。  彼の本来の愛機であるノウルーズβでは空を飛べないので急遽借り受けた機体である。 「それにしても……よく捕まらなかったな…一体どんな手を使ったんだ?」  再びヒカルに向きかえると、極当たり前な質問がショウの口をついて出る。 「…一言では言い切れないわ……巡り会わせだったのよ、きっと……ザッフェって人、覚えてるよね?  彼だったのよ…一緒に居たのは……色々教えてくれ…た…」 「ザッフェか……覚えてる…見かけ通り甘い奴だった様だが…今回ばかりは感謝せざるを得ないな…  何せ無事に返してくれたんだからな…」  無骨な機体を前にしてヒカルとショウは二人見つめあう。沈黙がしばし続く。 「……長居は無用だな…さあ帰ろうか…」  何か言おうとしたがその言葉を飲み込み事務的に言葉を紡ぐショウ。そんなショウにヒカルは素直に頷く。 「…そ、そうね……帰りましょう、私の居場所に…」    太陽の光を浴びて一路基地へと急ぐ3機のメタス。 「ザッフェ…あの一緒にいた女ってスペの兵士かい?あの調査を命じられた機体のパイロットだったのかい?」  安定飛行に入り、自動運転に切り替えたところでサラがザッフェに質問する。 「ああ…そうだよ。洞窟に落ち込んで片手片足を負傷してた俺を助けてくれた…ってどうしたサラ?」  操縦桿を握る手が少し震えていた。 「あたいが一晩中心配してたのに、あんたはスペの女とよろしくやってたのかい?どういうつもりさ!」 「……おい、サラ?」  サラが訳の判らない事を突然言い出しザッフェは目を白黒させる。 「司令と喧嘩してまで救援に、そう懲罰覚悟で救援に行こうとしたところをキョウカに殴られたんだよ!  もうこんなに心配してたのに、してたのに……それなのにあんたは何なのさ、あんな女相手にデレデレしててさ……」 「サラ……心配かけて済まない。でも俺は……」 「あたいが欲しいのはそんな言葉じゃない!」  ザッフェの方を振り返ったサラの両目には大きな涙が浮かんでいた。 「サラ…」  そう呟くとザッフェは補助シートから身を起こし彼女の傍に寄る。 「ありがとう…」  彼女の耳元でそう囁くと素早く唇に唇を重ねる。瞬間驚いて大きく目を見開いたサラだが、ゆっくりとその目を閉じていく。  時間にして僅か数秒の事だった……それでも彼女の心の中にあった様々な感情が嘘の様に引いて落ち着いていく。 (このままで…もうしばらく…)  しかしそんな彼女の願いは無粋な無線連絡で破られる事となる。 「あのさ……そういう事するのはせめて通信用モニターをオフにしてくんないかな?」  フェイからの突っ込みに慌てて離れる二人。不意を突かれて顔を真っ赤にしている。 「フェイ……こういう時は黙っているものだ……」  ザッフェが苦笑しながら答える。そのやり取りにシッドとキョウカも笑う。  安堵感を携えて3機のメタスはどこまでも真っ青に晴れ渡った大空を翔けて行った。 あとがき  ヒカル・コウガPL螺郷さんと某所で進めていた雪山洞窟遭難RS、略して洞窟RSをSSに仕上げました。  文の書き方が根本的に私、カイザーと螺郷さんで違うので何かと読み辛いとは思いますが、ご容赦下さい。  原文を出来るだけいじりたくなかったのです。なお時間軸としては第三回作戦終了後のお話と読んでください。     それではお礼を色々。  まずはRS板を貸してくださったジャンヌPLアキさん、ありがとうございます。  それとNPCのジェラルド・フィットマン特佐をお借りしました。インPLそうのすけさん、ありがとうございます。  台詞付きで登場して頂きました  ショウPL矢座さん、アフィーネPL結城さん、  サラPLめいぽろさん、キョウカPLAkikoさん、フェイPL天城さん、シッドPLi-chaosさん、ありがとうございます。  会話中に名前だけ使わせて頂きました  ルクスPL紅麗さん、インPLそうのすけさん、シルヴィアPLシル(略)子さん、シンディPLケイトさん、  シホPL如月さん、コウジPLイニシャルDさん、ロジャーPL狸さん、メイリーンPL我流さん、  ロバートPLくまさん、ジャンヌPLアキさん、カイゼルPLシエラさん、ありがとうございます。